橘消防署
歴史
編集沿革
編集- 1919年(大正8年)7月20日 - 愛知県南消防署として、名古屋市内初の消防署の一つとして、愛知県中消防署とともに発足した[1]。当時の管轄は同市南区一円だった[1]。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 本署を南区熱田白鳥町に移転する[2]。
- 1922年(大正11年)4月25日 - 本署を中区伊勢山町に移転し、南区白鳥町に白鳥町出張所を設置する[2]。また、中消防署より門前町出張所が移管される[2]。
- 1926年(大正15年)11月1日 - 南区瑞穂町に瑞穂出張所を設置する[2]。
- 1929年(昭和4年) - 本署を中区梅川町に移転する[2]。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 門前町出張所を中区御器所町1丁目に移転し、御器所出張所と改称する[2]。
- 1937年(昭和12年)3月6日 - 築地出張所を南区稲荷町に設置する[2]。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 本署に救護隊を設置する[2]。
- 1939年(昭和14年)12月13日 - 広路出張所を昭和区広路町石仏に設置する。また、築地出張所を港消防署に移管する[2]。
- 1942年(昭和17年)7月1日 - 葛町出張所を中区葛町4丁目に、高辻出張所を昭和区東郊通8丁目に、鶴舞出張所を昭和区鶴舞町にそれぞれ設置する[2]。
- 1943年(昭和18年)8月17日 - 白鳥出張所を高蔵消防署へ移管する[2]。
- 1943年(昭和18年)12月24日 - 門前出張所を中区門前町2丁目に設置し、御器所・高辻両出張所を叢雲消防署に移管する[2]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 中区から栄区の分区実施に伴い、栄区を東新消防署に移管し、橘消防署と改称した[1]。また、鶴舞出張所を叢雲消防署に移管する[2]。
- 1944年(昭和19年)9月 - 本署の救護隊を廃止する[2]。
- 1945年(昭和20年)10月1日 - 東新消防署の管轄が栄区・中区を兼ねることになり、橘消防署としては廃止されたが、同時に東新消防署橘出張所が発足した[1]。葛町・門前出張所を廃止する[2]。
- 1988年(昭和63年)5月 - 橘消防署旧庁舎の老朽化に伴い、改築[1]。
歴代署長
編集代 | 就任年月日 | 氏名 | 階級 |
---|---|---|---|
1 | 1919年(大正8年)7月20日[2] | 大脇 藤一[2] | 消防士兼警部[2] |
2 | 1920年(大正9年)11月24日[2] | 北村 隆一[2] | |
3 | 1923年(大正12年)3月12日[2] | 小林 一郎[2] | |
4 | 1924年(大正13年)12月2日[2] | 石井 春治[2] | |
5 | 1926年(大正15年)7月17日[2] | 山口 庄九郎[2] | |
6 | 1927年(昭和2年)4月20日[2] | 小南 庄吉[2] | |
7 | 1928年(昭和3年)5月16日[2] | 倉地 章[2] | |
8 | 1929年(昭和4年)9月11日[2] | 都築 安吉[2] | |
9 | 1930年(昭和5年)1月22日[2] | 土井 宏[2] | |
10 | 1931年(昭和6年)5月4日[2] | 小森 金重[2] | |
11 | 1932年(昭和7年)1月16日[2] | 渡辺 敏[2] | |
12 | 1932年(昭和7年)8月19日[2] | 堀田 坂十郎[2] | |
13 | 1933年(昭和8年)9月30日[2] | 久野 敬豊[2] | |
14 | 1935年(昭和10年)6月10日[2] | 武川 文三[2] | |
15 | 1939年(昭和14年)3月31日[2] | 犬飼 磯吉[2] | |
16 | 1942年(昭和17年)7月1日[2] | 團迫 鉦一郎[2] | |
17 | 1943年(昭和18年)1月1日[2] | 田中 英一[2] | |
18 | 1943年(昭和18年)3月19日[2] | 田中 英一[2] | 消防司令[2] |
19 | 1944年(昭和19年)7月10日[2] | 磯部 正[2] | |
20 | 1945年(昭和20年)4月16日[2] | 近藤 太郎[2] |
脚注
編集参考文献
編集- 名古屋消防史編集委員会 編『名古屋消防史』名古屋市消防局、1989年7月20日。