橋本綱太郎
日本の官僚・教育者
橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)5月12日[1] - 1942年(昭和17年)10月13日[2])は、日本の教育者、文部官僚。
経歴
編集福井県足羽郡東郷村(現在の福井市)出身[1]。1911年(明治44年)に盛岡高等農林学校農学科を卒業[1]。宮城県立農学校教諭、同農事試験場技手、福井県今立郡立農学校教諭、盛岡高等農林学校助教授などを歴任[1][3]。その後高等文官試験に合格し、福岡県鞍手郡長、同糸島郡長、同事務官を務めた[3]。1928年(昭和3年)に文部事務官に移り、大臣官房会計課勤務、専門学務局勤務などを経て、1934年(昭和9年)に文部書記官・宗教局宗務課長に就任した[1][3]。1937年(昭和12年)からは東京聾唖学校校長を務めた[3]。
脚注
編集- ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
- ^ 「故東京聾唖学校長橋本綱太郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11115330400
- ^ a b c d 人事興信録 1939.
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
公職 | ||
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先代 樋口長市 |
東京聾唖学校長 1937年 - 1942年 |
次代 川本宇之介 |
その他の役職 | ||
先代 樋口長市 |
日本聾唖教育会会長 1937年 - 1942年 |
次代 (聾唖教育福祉協会に統合) |