橋本実俊
鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。西園寺公相の四男。正三位・参議。橋本家の祖・初代。出家
橋本 実俊(はしもと さねとし)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。太政大臣・西園寺公相の四男。官位は正三位・参議。橋本家の祖。
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 文応元年(1260年) |
死没 | 暦応4年/興国2年2月15日(1341年3月3日) |
別名 | 實俊、冷泉 |
官位 | 正三位、参議 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇 |
氏族 | 西園寺家→橋本家 |
父母 | 父:西園寺公相、母:園基氏の娘 |
兄弟 |
実守、尊教、西園寺実兼、西園寺嬉子、西園寺実康、西園寺実顕、勝恵、実俊、西園寺相子、近衛基平室、徳大寺実孝室、九条忠教室 養兄弟:寿子 |
子 | 季経、俊季、遊義門院一条局(尊治親王(後醍醐天皇)室))、園基藤室、六条有忠室 |
経歴
編集文永6年(1269年)正月、10歳で従五位下に叙爵。同年5月に従五位上・侍従、10月に正五位下に昇叙。文永7年(1270年)従四位下・左近衛中将、文永8年(1271年)従四位上・美濃権介、文永9年(1272年)正四位下と昇叙される。文永10年(1273年)春宮権亮、建治2年(1276年)因幡介を兼ねる。
建治3年(1277年)参議に任ぜられて公卿に列す。同年9月従三位。弘安元年(1278年)但馬権守、弘安2年(1279年)には正三位に昇る。参議を辞し、弘安6年(1283年)近江権守を務める。正安3年(1301年)10月25日に出家。暦応元年/興国2年(1341年)2月に薨去。享年82。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 『公卿補任』
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