森笠 繁(もりかさ しげる、1976年10月4日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手外野手)。

森笠 繁
福岡ソフトバンクホークス 四軍打撃コーチ #013
2017年11月20日 由宇練習場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横須賀市
生年月日 (1976-10-04) 1976年10月4日(48歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 ドラフト4位
初出場 1999年4月2日
最終出場 2010年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

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プロ入り前

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1976年に神奈川県小田原市で生まれ、横須賀市で育つ。国学院久我山高等学校では3年時の全国高等学校野球選手権西東京大会でベスト8。関東学院大学に進学後、1イニングに満塁本塁打と3ラン本塁打を放ち、スカウトから注目を集め、「金本2世」と評されていた。最優秀選手3回、首位打者1回、最多打点3回、ベストナイン4回。

1998年、ドラフト4位で広島東洋カープに入団。

広島時代

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即戦力ルーキーとして1999年(1年目)より29試合に出場する。同年4月7日の対阪神タイガース戦(広島市民球場)で、2番ライトでプロ入り初スタメン出場。

2001年には戦列を離れた前田智徳に代わり3番で出場することもあった。

2003年には5月23日の対中日ドラゴンズ戦(広島市民球場)で初の1試合2本塁打を記録する[1]など、自己最多となる117試合に出場する。

2005年は主に代打で出場する。代打率.361はこの年のリーグトップだった。

2006年にはセ・リーグ3位となる4本の三塁打を放つ。9月24日の対横浜ベイスターズ21回戦ではプロ初の4番を経験した。

2008年は、天谷宗一郎赤松真人の台頭もあり出場機会が減少、わずか9安打に終わる。シーズン終了後にFA権を行使するか注目されたが、トレードを前提とした残留を決め、11月17日に金銭トレードで横浜ベイスターズへ移籍した。

横浜時代

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横浜時代(2009年4月30日、阪神甲子園球場)

2009年4月9日の対読売ジャイアンツ戦で代打で移籍後初出場し、適時打を放った。大矢明彦が休養し、代行として田代富雄が就任してからは出場機会も徐々に増加。7月20日の対読売ジャイアンツ戦では、欠場した内川聖一に代わって3番・左翼手でスタメン出場し、2安打3打点の活躍でチームの勝利に貢献、移籍後初のお立ち台に上がる。8月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、守護神の林昌勇から代打同点本塁打を放つなど、打率こそ1割台に終わったが、代打では存在感を見せた。

2010年は新たにターメル・スレッジ早川大輔が加入して外野手争いが激化したことで出場機会に恵まれず、シーズンを通じて2軍暮らしが多く、安打数も1本にとどまった。10月2日に現役引退を表明する[2]

引退後

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2011年から古巣広島の三軍野手コーチに就任[3]2012年からは二軍打撃コーチを務め、小園海斗を育て[4]林晃汰宇草孔基らを鍛え、1軍の戦力として送り込んだ[5]2022年限りで退団。

2023年からは福岡ソフトバンクホークスの四軍打撃コーチを務める[6]

人物

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愛称は吉川晃司の曲からもじった「モニカ[7]

広島時代の2000年に、当時発行された週刊ベースボール選手名鑑の「好みの女性のタイプ」欄に「藤崎詩織ときめきメモリアルのヒロイン)」と書かれていたことがある(ルーキー時代はリヴ・タイラー)。選手名鑑2007年2月24日号によると、森笠が「適当にお願いします」と言ったところ勝手に書かれたとのことで、本人はファンレターが来るまで知らなかったらしい。この件以来「ときめきメ森笠」とも呼ばれるようになった。

ヒーローインタビューの後にはインタビュアーに必ず一礼している。

前田智徳と公私ともに仲が良く、ゴルフコンペなどではベテラン勢はベテラン同士回る選手が多い中で、必ず同じ組で回っていた。また、前田が2000本安打を達成した際に、試合後のインタビューで前田が「森笠繁の、あのバカのヒットがあって…」と仲が良いことを裏付けるコメントをしている。

プロ入り前は右打ち。その後、両打ち(スイッチヒッター)を経て左打ちとなる。しかし、その後も度々両打ちにも挑戦するが、最終的に左打ちとなる。現役時代、一時期、試合中に半袖シャツをまくり上げて、二の腕を出すスタイルを取っていたが、浅井樹の影響によるものである。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1999 広島 29 35 32 5 7 2 0 0 9 0 2 0 0 0 3 0 0 10 0 .219 .286 .281 .567
2000 91 157 148 15 35 8 0 2 49 11 10 0 1 0 7 0 1 46 1 .236 .276 .331 .607
2001 53 67 62 10 17 6 0 0 23 1 3 1 2 0 3 1 0 18 0 .274 .308 .371 .679
2002 24 19 19 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 9 0 .000 .000 .000 .000
2003 117 286 257 41 68 17 1 6 105 25 8 3 3 2 19 3 5 55 1 .265 .325 .409 .734
2004 108 195 174 24 48 4 1 1 57 10 4 2 4 0 15 1 2 26 2 .276 .340 .328 .668
2005 90 176 170 22 52 14 0 2 72 15 2 1 2 0 3 0 1 23 3 .306 .322 .424 .745
2006 115 316 291 24 85 11 4 6 122 31 1 4 4 1 18 1 2 53 4 .292 .337 .419 .756
2007 107 273 258 19 70 8 0 2 84 20 3 2 3 1 11 0 0 42 7 .271 .300 .326 .626
2008 40 47 43 1 9 4 0 0 13 1 0 0 1 0 3 0 0 10 1 .209 .261 .302 .563
2009 横浜 62 113 101 13 20 6 0 2 32 11 1 0 1 2 8 0 1 23 3 .198 .259 .317 .576
2010 4 8 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .125 .125 .125 .250
通算:12年 840 1692 1563 176 412 80 6 21 567 125 34 13 21 6 90 6 12 315 22 .264 .308 .363 .671

年度別守備成績

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外野












1999 広島 14 5 0 0 0 1.000
2000 61 55 3 1 0 .983
2001 34 36 2 1 1 .974
2002 11 3 0 0 0 1.000
2003 92 104 3 2 0 .982
2004 78 55 4 1 0 .983
2005 64 66 2 1 1 .986
2006 90 136 5 1 0 .993
2007 70 98 2 0 0 1.000
2008 5 3 0 0 0 1.000
2009 横浜 20 23 1 0 0 1.000
2010 3 8 0 0 0 1.000
通算 542 592 22 7 2 .989

記録

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初記録

背番号

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  • 41(1999年 - 2008年)
  • 00(2009年 - 2010年)
  • 92(2011年 - 2022年)
  • 013(2023年 - )

脚注

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  1. ^ 貞末 (2003年5月23日). “森笠2発、中日戦8連勝 高橋無傷の5勝目”. 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/2003/Cs03052301.html 2010年11月25日閲覧。 
  2. ^ “横浜森笠が現役引退 広島コーチ就任か”. 日刊スポーツ. (2010年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20101002-685727.html 2010年11月25日閲覧。 
  3. ^ 森笠繁コーチ 就任記者会見!”. 広島東洋カープ 公式サイト (2010年10月14日). 2010年11月25日閲覧。
  4. ^ 【ソフトバンク】新設4軍打撃コーチ就任の森笠繁氏が会見「すごくワクワク」広島で小園ら育成”. 日刊スポーツ (2022年11月29日). 2022年12月15日閲覧。
  5. ^ 森笠繁氏がソフトBの4軍打撃コーチ就任、赤ヘルイズム継承者が若タカ育成”. スポーツニッポン (2022年11月23日). 2022年12月15日閲覧。
  6. ^ 森笠四軍打撃コーチが就任会見「いいアドバイスを」”. 福岡ソフトバンクホークス (2022年11月29日). 2022年12月15日閲覧。
  7. ^ 川島 (2009年4月4日). “モニカさん??”. 横浜ベイスターズ公式サイト 広報部リポート. 2010年11月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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