森 弘太郎(もり こうたろう、1915年5月29日 - 1966年9月1日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手投手)。

森 弘太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県一宮市
生年月日 (1915-05-29) 1915年5月29日
没年月日 (1966-09-01) 1966年9月1日(51歳没)
身長
体重
172 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1937年
初出場 1937年
最終出場 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 川島紡績

史上5人目のシーズン防御率0点台を達成した。

来歴・人物

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一宮中(現:一宮高)卒業。一宮第四小学校では先輩に吉田正男が居た。関西大学(中退)から名古屋鉄道管理局を経て、1937年から1948年まで阪急軍・阪急ブレーブス、1949年東急フライヤーズ、1950年西日本パイレーツに所属。

引退後は、社会人野球の川島紡績へ。川島紡績時代には、監督として山内一弘を育てたことでも知られる。

1940年夏、日本野球連盟は満州国において満州リーグ戦を行っているが、8月11日の対阪神軍戦において、若林忠志との投げ合いで、若林に打たれた三塁打をスクイズで返され0対1で敗れたが投球数77球で、一方の若林は80球完封勝利となったが、両軍合わせて157球の勝利となる。公式では戦前の記録は除外されているため、この時の相手若林が8年後の1948年8月11日の対太陽戦での160球が日本プロ野球最少記録とされている。この遠征の途上、若林と二人で理想の投球について談義となり、お互いが「1人1球27アウト27球」で終わらせるのが理想と結論し、それなら二人で最少投球試合記録を作ろうという事となった[1]

1941年、30勝8敗、防御率0.89で、最多勝と最多勝率のタイトルを獲得、防御率は2位に。同年、8月2日に江田孝との継投によるノーヒットノーランを達成(江田7回2/3、森1回1/3)、10月27日に単独でノーヒットノーランを達成している。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1937 阪急 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 46 9.1 14 0 2 -- 0 8 0 0 9 7 6.30 1.71
1938 8 6 1 0 0 5 2 -- -- .714 193 45.1 29 0 25 -- 1 7 3 0 12 8 1.57 1.19
1938 2 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 20 3.2 6 0 3 -- 0 2 0 0 6 3 6.75 2.45
1939 15 13 7 2 0 7 3 -- -- .700 458 107.0 97 4 38 -- 0 25 0 0 41 32 2.69 1.26
1940 54 35 30 8 7 28 13 -- -- .683 1450 377.1 251 6 82 -- 7 97 1 0 81 54 1.29 0.89
1941 48 24 23 11 2 30 8 -- -- .789 1262 333.1 200 3 83 -- 3 85 1 0 48 33 0.89 0.85
1942 59 29 24 3 1 19 17 -- -- .528 1416 369.1 239 1 88 -- 3 105 0 0 82 54 1.31 0.89
1943 8 7 5 0 0 1 5 -- -- .167 240 59.0 51 1 14 -- 0 14 0 0 21 15 2.29 1.10
1946 8 6 1 0 0 2 3 -- -- .400 144 32.1 44 1 9 -- 2 6 1 0 17 17 4.64 1.64
1947 16 8 2 0 0 2 4 -- -- .333 275 64.1 69 3 20 -- 0 14 0 0 29 14 1.94 1.38
1948 30 16 5 0 5 7 8 -- -- .467 621 154.2 163 6 20 -- 0 27 0 0 61 43 2.50 1.18
1949 東急 17 10 4 1 1 6 4 -- -- .600 416 95.0 110 8 26 -- 0 18 0 0 53 43 4.07 1.43
1950 西日本 28 19 9 0 3 5 11 -- -- .313 688 154.2 183 9 39 -- 0 33 0 0 84 63 3.66 1.44
通算:12年 295 174 111 25 19 112 78 -- -- .589 7229 1805.1 1456 42 449 -- 16 441 6 0 544 386 1.92 1.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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記録

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背番号

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  • 21 (1937年 - 1943年、1946年途中 - 1948年)
  • 16 (1946年)
  • 19 (1949年 - 1950年)

脚注

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  1. ^ ベースボールマガジン2011年11月号63-64ページ
  2. ^ ただし実際の勝率で見ると、須田博が.833(15勝3敗)で上回る。

関連項目

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外部リンク

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