梅本克己
日本の哲学者
人物
編集神奈川県生まれ。東京帝国大学(現 東京大学)倫理学科卒。1942年、旧制水戸高等学校(現 茨城大学)教授[1]。
戦後マルクス主義者となり、主体性論争で主体的唯物論を展開する。1947年『展望』2月号に「人間的自由の限界」、10月号に「唯物論と人間」を発表し、1948年『世界』7月号で松村一人が「哲学における修正主義」で批判して論争が始まった。1954年立命館大学教授となるが、病気で退職。以後哲学研究と著述に専念し、在野のマルクス主義研究家となった[1]。
著書
編集- 唯物史観と道徳 三一書房 1949
- 人間論 実践論・矛盾論の研究序説 理論社 1953
- 哲学入門 物の考えかた 三一書房 1954 (対話式入門講座)
- 過渡期の意識 現代思潮社 1959
- 唯物論と主体性 現代思潮社 1961
- 現代思想入門 三一新書 1963
- マルクス主義における思想と科学 三一書房 1964
- 革命の思想とその実験 三一書房 1966
- 唯物史観と現代 1967 (岩波新書)
- 唯物論入門 清水弘文堂書房 1969
- 唯物史観と経済学 現代の理論社 1971
- 過渡期の意識 現代思潮社 1975
- 梅本克己著作集 全10巻 三一書房 1977-1978
- 梅本克己スケッチ集 梅本千代子 1993.1
- 梅本克己短歌抄 梅本千代子 1993.1
共著
編集脚注
編集- ^ a b c “梅本克己(うめもと かつみ)とは”. コトバンク. 2019年12月25日閲覧。
- ^ 後藤田正晴 (1996-6-24). 情と理 - 後藤田正晴回顧録<上>. 講談社. p. 31
参考文献
編集- 「新潮日本人名辞典」