根岸吉太郎
1950-, 映画監督。
根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう、1950年8月24日 - )は、日本の映画監督。東北芸術工科大学理事長[1]。
ねぎし きちたろう 根岸 吉太郎 | |||||||||||||||||||
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生年月日 | 1950年8月24日(74歳) | ||||||||||||||||||
出生地 | 日本・東京都 | ||||||||||||||||||
民族 | 日本人 | ||||||||||||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||
活動期間 | 1978年 - 1993年、1998年 - | ||||||||||||||||||
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東京都出身。東京都立駒場高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。
来歴
編集早稲田大学卒業後、1974年日活に入社。同期には池田敏春がいる。なおこの年はにっかつが映画制作再開に伴い10年ぶりに大学卒の新卒採用を再開した年でもあった。藤田敏八、曽根中生に師事。
- 1978年、映画『暴る!』(長谷部安春監督)で助監督を務め、同年の『オリオンの殺意より 情事の方程式』で監督デビュー。にっかつのロマンポルノ作品を10作近く監督した。
- ATGで製作した映画『遠雷』でブルーリボン賞監督賞と芸術選奨新人賞を獲得。
- 1982年、ディレクターズ・カンパニーの設立に参加。盟友・池田の『人魚伝説』をプロデュースする。
- 監督としても『探偵物語』『ウホッホ探険隊』『永遠の1/2』などの映画で評価を高めていった。
- 1990年代中ごろは映画製作から離れていた。この時期は、1993年から1999年にかけて中島みゆきの『夜会』の映像作品や中島の楽曲のプロモーション・ビデオの監督を務めるなど、映像監督としての活動が中心だった。1997年、同年代・盟友監督でもある原將人の『20世紀ノスタルジア』に出演し映画デビュー作であった広末涼子の父親役を好演。その後、1998年の『絆 -きずな-』で5年ぶりに監督復帰する。
- 2005年に製作した『雪に願うこと』で、芸術選奨文部科学大臣賞、第18回東京国際映画祭の4部門受賞をはじめ、同年度の映画賞を多数獲得。2009年の『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』では、モントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞した。2010年春、紫綬褒章受章[2]。
早稲田卒業時の論文は、野田高梧の脚本における時間経過などがテーマであり「映画監督志望なのになんで小津ではなく野田か」と、仲間内でも笑う者や不思議がる者が多かったという。
監督作品
編集映画
編集- オリオンの殺意より 情事の方程式(1978年)
- 女生徒(1979年)
- 濡れた週末(1979年)
- 暴行儀式(1980年)
- 朝はダメよ!(1980年)
- 女教師 汚れた放課後(1981年)
- 狂った果実(1981年)
- 遠雷(1981年)
- キャバレー日記(1982年)
- 俺っちのウエディング(1983年)
- 探偵物語(1983年)
- ひとひらの雪(1985年)
- ウホッホ探険隊(1986年)
- 永遠の1/2(1987年)
- 課長島耕作(1992年)
- 乳房(1993年)
- 絆 -きずな-(1998年)
- 透光の樹(2004年)
- 雪に願うこと(2005年)
- サイドカーに犬(2007年)
- ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜(2009年)
その他
編集- CoCo
- DoCo?! -胸騒ぎのHawaiian Kiss-(1992年)※プロモーション・ビデオ
- 中島みゆき
- 夜会VOL.4 金環蝕(1993年)
- 夜会VOL.6 シャングリラ(1995年)
- 旅人のうた(1996年)※プロモーション・ビデオ
- たかが愛(1996年)※プロモーション・ビデオ
- 夜会VOL.7 2/2(1996年)
- 夜会VOL.8 問う女(1997年)
- 夜会VOL.10 海嘯(1999年)
出演
編集- 20世紀ノスタルジア(1997年)
- 照明熊谷学校(2004年)
脚注
編集外部リンク
編集- 根岸吉太郎 - 日本映画データベース
- 根岸吉太郎 - allcinema
- 根岸吉太郎 - KINENOTE
- 東北工科芸術大学
- 根岸吉太郎 (@kichitaronegish) - X(旧Twitter)