柳原 (長野市)
柳原 やなぎはら | |
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国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
自治体 | 長野市 |
旧自治体 | 柳原村 |
面積 |
3.72km² |
総人口 |
6,715人 (住民基本台帳、2023年3月1日現在) |
人口密度 |
1,805.11人/km² |
隣接地区 | 古里地区、朝陽地区、長沼地区 |
長野市役所柳原支所 | |
北緯36度39分49.9秒 東経138度15分19.1秒 / 北緯36.663861度 東経138.255306度座標: 北緯36度39分49.9秒 東経138度15分19.1秒 / 北緯36.663861度 東経138.255306度 | |
所在地 |
〒381-0017 長野県長野市大字小島804-5 |
本項では、かつて概ね同地域に所在した上水内郡柳原村(やなぎはらむら)についても述べる。
「柳原」の名前は区域の中で最も古来から使われている庄名に由来するという。「柳原」は荘園名として確かな資料はないが、荘号として使われていた。最初に登場するのは、1606年(慶長11年)水内郡荒瀬原・舟竹村(現・信濃町古間)の名寄帳である。明治初めの『町村誌』には善光寺平とその周辺の村々の由来を、「古くは柳原庄に属し云々」としている部分がある。「柳原」は、江戸時代広く使われていた荘号である。それに加え、この地は低湿地帯で柳の木が多いことから重ね合わせて命名したのではないか、という説がある[1]。
人口
編集地域内の人口は、2,887世帯 6,715人(令和5年3月1日現在)[2]。
以下の1889年~1995年は『長野市誌 第8巻』[3]に、2000年~は住民基本台帳の1月1日のデータ[2]に基づく。
明治初めから第二次大戦前まではわずかにしか増えていない。戦後は、疎開者や引揚者の定住や子供を分家に出すことで増加してきた。1959年(昭和34年)2月、柳原駅前の水田地に市営住宅が建設され、国道の開通にともない交通の便のよさと、排水機場の設置によって水害の被害が少なくなったことから、1965年頃から住宅地として注目されるようになった。1974年には国道沿いに柳原県営住宅、続いて雇用促進住宅などの高層住宅が建設された。柳原小学校は児童数が増えて校舎が狭くなり、1977年4月1日、中俣から小島へ新築移転した[3]。
人口は2000年頃をピークに、近年は徐々に減少している。
- 1889年 1573人
- 1900年 1811人
- 1910年 1872人
- 1915年 2161人
- 1920年 1733人
- 1925年 1836人
- 1930年 1833人
- 1935年 1864人
- 1940年 1914人
- 1947年 2322人
- 1950年 2368人
- 1955年 2343人
- 1960年 2334人
- 1965年 2409人
- 1970年 3027人
- 1975年 4040人
- 1980年 5959人
- 1985年 6658人
- 1990年 6677人
- 1995年 7380人
- 2000年 7483人
- 2005年 7332人
- 2010年 7195人
- 2015年 7205人
- 2020年 6786人
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
地理
編集千曲川を隔てて須坂市と接する、長野市東端の地域である。地域中央部で国道18号・国道406号が分岐し、また長電バス長野営業所が置かれバス路線が集まる交通の要衝であり、県内でも有数の渋滞ポイントとなっている[4]。
地域中央部にある長野電鉄柳原駅を中心に区画整理された住宅地が広がっているが、外縁部においては農地が多く占める。柳原の地名は、川端で柳の多い土地であったことに由来する。
河川
編集歴史
編集やなぎはらむら 柳原村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 長野市、古里村、柳原村、浅川村、大豆島村、朝陽村、若槻村、長沼村、安茂里村、小田切村、芋井村 → 長野市 |
現在の自治体 | 長野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 上水内郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,368人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
上水内郡古里村、朝陽村、長沼村 上高井郡須坂町、井上村 |
柳原村役場 | |
所在地 | 長野県上水内郡柳原村 |
座標 | 北緯36度39分50.1秒 東経138度15分19.4秒 / 北緯36.663917度 東経138.255389度 |
ウィキプロジェクト |
- 旧柳原村の歴史
- 江戸時代 - 前身の水内郡村山村・布野村・中俣村・小島村は松代藩領であった[5]。
- 1870年(明治6年)7月 - 小島村・中俣村・布野村・里村山村の4ヶ村組合立の巡回学校(長野市立柳原小学校の前身)が開校。
- 1876年(明治9年)5月30日 - 水内郡布野村・中俣村が合併して柳原村となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、各村が上水内郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡村山村・柳原村・小島村の区域をもって柳原村が発足。
- 1926年(大正15年)6月28日 - 長野電気鉄道線(現 長野電鉄長野線)が開通。柳原村中俣(現 大字柳原)に柳原駅が開業する。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 柳原村が長野市に編入。同日柳原村廃止。旧村山村域は大字村山、旧柳原村域は大字柳原、旧小島村域は大字小島となる。
- 長野市柳原の歴史
大字
編集小島
編集小島(こじま)は、柳原地域西部の地区(大字)。郵便番号は381-0017。
地区中央部を長野電鉄長野線が、地区南部を長野県道374号北長野停車場中俣線が東西に走り、地区南端を国道18号がかすめる。
周囲は以下の大字と接する。
地区南部の長野電鉄長野線と国道18号との間、および地区北東部の柳原支所・柳原小学校付近は住宅地となっているが、残る地区北西部は大半が農地となっている。
地区内の人口は、997世帯 2,357人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 鉄道
地区内に駅はないが、地区東部では長野電鉄柳原駅、地区西部では長野電鉄附属中学前駅が利用できる。
- 路線バス
施設
編集- 長野市柳原総合市民センター
- 長野市役所柳原支所
- 長野市東部文化ホール
- 長野市営柳原体育館
- 長野市立柳原小学校
- 竹村製作所 本社
- 長野銀行 柳原支店
- 水内坐一元神社
- ベイシア 長野東店(長野県長野市大字小島188)2021年4月4日(日)18時の営業を持って閉店
村山
編集村山(むらやま)は、柳原地域北東部の地区(大字)。郵便番号は381-0011。
地区東端を千曲川が流れ、須坂市との境を為している。地区南部を長野電鉄長野線・国道406号(村山橋)が東西に走り、地区西端を国道18号(アップルライン)、地区東端を長野県道368号村山豊野停車場線が南北に走る。
周囲は以下の大字と接する。
千曲川を隔てて対岸の須坂市側にも村山地区があるが、これは千曲川洪水の際に村山村の中央に流路が移り、2村に分かれたものである[6]。江戸時代中期には当地区を里村山村、対岸の現須坂市村山を山村山村と呼び区別した。なお、長野電鉄村山駅は須坂市側にある。
国道18号沿いに若干の店舗や工場などが、県道368号に並行する旧北国街道松代道沿いに古くからの集落があるほかは、ほとんど農地などで占められる。
地区内の人口は、183世帯 478人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 鉄道
地区内に駅はないが、地区南部では長野電鉄柳原駅が利用できる。
- 路線バス
地区中央部に長電バス本社・長野営業所があり、以下の路線が利用できる。
- 長電バス
施設
編集- 長電バス 本社
- 長野営業所
- 竹風堂 アップルライン店
- 村山神社 (長野市)
柳原
編集柳原(やなぎはら)は、柳原地域中央部の地区(大字)。郵便番号は381-0012。
地区の南東端を千曲川が流れ、須坂市との境を為している。南東部が大きく南方(屋島方面)に突き出しているが、これは千曲川河川敷の部分である。地区中央部を長野電鉄長野線・国道18号・国道406号が東西に走る。
周囲は以下の大字と接する。
概ね国道18号を境に、大きく北部の中俣区と南部の布野区に分けられる。
中俣区の南部には長野電鉄柳原駅があり、駅を中心に区画整理が為された住宅地が広がっている。北部には工場や倉庫などが集まっている。
布野区は北部に集落があり、南部はほぼ農地で占められている。区南部の千曲川には旧北国街道東脇往還(松代道)の「布野の渡し」があり、対岸の福島宿(現 須坂市)と結ばれていた。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
中俣 | 1030世帯 | 2,352人 |
布野 | 438世帯 | 1,138人 |
柳原団地 | 239世帯 | 390人 |
計 | 1,707世帯 | 3,880人 |
交通
編集- 鉄道
- 路線バス
- 長電バス
- 51 長野駅 - 平林 - 市民病院 - 柳原
施設
編集中俣
編集- 長野電鉄 柳原駅
- ながでんウェルネス ながでんハートネット柳原・柳原あやめの里
- 長野信用金庫 柳原支店
- アメリカンドラッグ 柳原店
- 太田屋 やすらぎ館長野柳原店
- 羽生田鉄工所
- 長野市消防局鶴賀消防署 柳原分署
- 北信米油 本社
- ほおずき書籍 本社
- 中俣城跡
- 中俣神社
- 神武天皇遥拝所