柏原義則
柏原 義則(かしはら よしのり、1900年(明治33年)2月25日 - 1971年(昭和46年)4月30日)は、日本の政治家、宗教家。衆議院議員[1](3期)。
柏原 義則 かしはら よしのり | |
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生年月日 | 1900年2月25日 |
出生地 | 徳島県 |
没年月日 | 1971年4月30日(71歳没) |
死没地 | 奈良県天理市 |
出身校 | 京都帝国大学文学部社会学科 |
前職 | 宗教家 |
所属政党 | 自由党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 文学士(京都帝国大学) |
選挙区 | 徳島県全県区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1946年 - 1952年 |
経歴
編集徳島市幟町に生まれる。徳島県立徳島中学校、第六高等学校卒業後、京都帝国大学文学部社会学科へ進学し卒業[2]。
大学卒業後は天理教が中心となって設置した奈良県の天理中学校に奉職し校長まで務め、後に徳島に戻り天理教徳島教区長・天理教名東大教会長を歴任した[2]。
1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選し、1952年(昭和27年)まで3期を務めた。1949年(昭和24年)には第3次吉田内閣で文部政務次官を務めた[2]。
1970年(昭和45年)、春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1971年(昭和46年)4月30日、奈良県天理市で没する[2]。死没日をもって正八位から正五位に叙される[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
議会 | ||
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先代 新設 |
衆議院建設委員長 | 次代 浅利三朗 |