架祥院(かしょういん、1689年元禄2年) - 1731年享保16年6月12日))は、阿波徳島藩5代藩主・蜂須賀綱矩継室。父は安西作左衛門。名前は架(たな)[1]

生涯

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安西作左衛門の娘として生まれ、1709年宝永6年)に徳島藩5代藩主・蜂須賀綱矩の側室となる[2]

1710年(宝永7年1月12日)に先妻である蒼涼院が亡くなったため継室となった。綱矩との間には四男の蜂須賀宗員を出産[3]。綱矩との間には正室になる前の1692年(元禄5年)に長男の蜂須賀綱矩を出産[3]

1731年享保16年6月12日)、死去。享年43。戒名は祥院貞即純利尼。墓所は東京都台東区松が谷海禅寺[3]

脚注

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  1. ^ 1917年,榮進舍出版部『寛政重修諸家譜』
  2. ^ 1943年,阿波卿土会『蜂須賀家記』
  3. ^ a b c 1983年,東京大学出版会『徳島藩職制取調書拔 第1巻』