林昌寺 (春日井市外之原町)
愛知県春日井市外之原町にある寺院
林昌寺(りんしょうじ)は、愛知県春日井市外之原町にある臨済宗妙心寺の寺院である。山号は牛臥山(ぎゅうがざん)。
林昌寺 | |
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所在地 | 愛知県春日井市外之原町2692 |
位置 | 北緯35度17分29.1秒 東経137度03分53.9秒 / 北緯35.291417度 東経137.064972度座標: 北緯35度17分29.1秒 東経137度03分53.9秒 / 北緯35.291417度 東経137.064972度 |
山号 | 牛臥山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
法人番号 | 9180005008203 |
縁起
編集→詳細は「黒白の狐-林昌寺縁記」を参照
廻間の住人、林昌則は、毎日山に入って、兎や狐などを狩ることを仕事にしていた。ある日いつものように弓矢を持って山深くに入ったが、夜が更けたので帰ることにした。だが、空が暗くなるにつれ、道に迷ってしまった。そこで、夜が明けるのを待って里まで下ろうと月 出を待つうちに寝てしまった。あたりにぱっと光が差したので目を覚ますと、赤い球が近づいてくる。狐か兎の仕業と思い弓矢を打つと光が消えていき、火の玉は、2つに割れた。近づくと黒白の狐が、口に矢を含み何かを言おうとしていた。昌則は、「この狐は臥牛山の主であったか、知らずとはいえ申し訳ないことを」と思い礼拝すると、狐の姿は、消えた。その後に昌則が臥牛山山頂に登るとその東隅に石室があり、そこには稲荷大明神の立像と先程の矢があった。昌則はこれを縁として自ら殺傷を禁じ、愛知郡稲葉村(現在の名古屋市内)龍雲寺住持、實鑑阿闍梨について得度し仏門に入り臥牛山の虎敷(現在の外之原町)に一宇を建て薬師如来を安置した[1]。
歴史
編集『春日井市史』によれば、1490年、観空田公和尚が開山。その後薬師如来を信仰する出川村大工、藤左右衛門より現在の林昌寺の他に二間四面の堂を建設。2世は天台宗密蔵院弟子恵宗が庵主として法燈をつぎ、観空より五世、鉄翁自山首座の代に至り、定光寺要門和尚の道徳に慕い、天台宗より改宗して禅門に属した。 1683年9月本堂庫裡を建設。1906年(明治39年)2月火災にかかり全焼。1915年(大正4年)12月再建[2]。
行事
編集境内
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林昌寺の石碑
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林昌寺の石仏
所在地
編集- 愛知県春日井市外之原町2692
交通手段
編集周辺
編集- 密蔵院
- 郷土館
脚注
編集参考文献
編集- 春日井市史編集委員会『春日井市史 地区誌編』春日井市、1986年。
- 春日井郷土史研究会『春日井のむかし話』春日井市、1978年。