松浦曜
江戸時代後期の大名。平戸藩第11代藩主
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化9年8月21日(1812年9月26日) |
死没 | 安政5年6月26日(1858年8月5日) |
改名 | 安丸(幼名)、慮、曜 |
別名 | 源三郎(通称) |
諡号 | 諦乗、得庵 |
戒名 | 諦乗院殿得脱祥瑞大居士 |
墓所 | 長崎県平戸市大久保町の雄香寺 |
官位 | 従五位下・壱岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定 |
藩 | 肥前平戸藩主 |
氏族 | 松浦氏 |
父母 | 父:松浦熈、母:中村氏 |
兄弟 | 曜、啓、秋、熊沢正観、欽明、日野資宗室、富子 |
子 | 養子:詮 |
生涯
編集文化9年(1812年)8月21日、第10代藩主・松浦熈の長男として平戸で生まれる。文政10年(1827年)11月1日、第11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下、壱岐守に叙位・任官する。天保12年(1841年)閏1月15日、父熈の隠居により家督を継いだ。
幕末の動乱が近づく中で海防の必要性を重要視し、軍制改革に取り組んだ。また財政再建のために農業・土地政策に尽力するなど、藩主としての力量を見せていた。しかし父に先立って安政5年(1858年)6月26日に平戸で死去した。享年47。
実子が無かったため、跡を甥で養子の詮が継いだ。
系譜
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