松平重利
松平 重利(まつだいら しげとし)は、江戸時代前期の大名。下野国皆川藩3代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 万治2年(1659年) |
死没 | 寛文5年3月24日(1665年5月9日) |
改名 | 伝次郎(幼名)→重利 |
別名 | 通称:忠左衛門 |
戒名 | 覚了院殿花屋幻栄大居士 |
墓所 | 東京都千代田区麹町の心法寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 下野皆川藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平重正、母:松平正綱娘・勢光院 |
兄弟 | 重利、松平正信養女、伊奈忠常室 |
略歴
編集2代藩主・松平重正の長男として誕生。
寛文2年(1662年)、父の死で跡を継ぐが、寛文5年(1665年)3月24日に死去した。享年7。
当然嗣子はなく、皆川藩能見松平氏は無嗣改易となった。