松平重休
松平 重休(まつだいら しげやす)は、豊後杵築藩の第3代藩主。能見松平家9代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄4年6月24日(1691年7月19日) |
死没 | 正徳5年8月10日(1715年9月7日) |
改名 | 重形(初名)→重休 |
別名 | 伝三郎、市三郎(通称) |
戒名 | 竜渓院 |
墓所 | 京都府京都市右京区花園の妙心寺聖沢院 |
官位 | 従五位下、民部少輔、豊前守、贈従四位 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後国杵築藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平重栄、母:坪生氏 |
兄弟 | 重休、新庄直詮正室 |
妻 | 正室:松平定陳の次女 |
子 | 養子:松平親純 |
略伝
編集第2代藩主・松平重栄の次男。宝永5年(1708年)11月23日、父の隠居により家督を継ぐ。正徳2年(1712年)、幕府から与えられた朱印状で「木付」を「杵築」と誤記されていたことを機に、「杵築」に改めた。民政に尽力し、領民に慕われる善政を布いたといわれているが、正徳5年(1715年)8月10日に25歳で死去した。跡を甥で養嗣子の親純が継いだ。
脚注
編集- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.41