松平忠祇
松平 忠祇(まつだいら ただまさ)は、江戸時代中期の大名。肥前国島原藩5代藩主、のち下野国宇都宮藩初代藩主。深溝松平家10代当主。官位は従五位下・主殿頭、大炊頭。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 元文2年(1737年)または元文3年11月11日(1738年12月21日)とも |
死没 | 享和元年9月14日(1801年10月21日) |
改名 | 吉十郎(幼名)、忠祇 |
墓所 | 愛知県額田郡幸田町深溝の本光寺 |
官位 | 従五位下主殿頭、大炊頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 肥前島原藩主、下野宇都宮藩主 |
氏族 | 深溝松平家 |
父母 | 松平忠刻、土屋陳直娘 |
兄弟 | 忠祇、忠恕、忠孝、巨勢忠睦 |
妻 | 堀田正亮娘 |
子 | 土岐頼布正室、忠恕 |
略歴
編集元文2年(1737年)、島原藩主・松平忠刻の長男として誕生。寛延2年(1749年)4月に父が死去したため[1]、7月13日に家督を継いだ。しかし直後の7月23日、幕命により下野宇都宮に移封となった[1]。宝暦元年(1751年)12月28日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。宇都宮藩内では忠祇の出した命令が原因で宝暦3年(1753年)9月13日に籾摺騒動が発生した。