東敦子
東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11日[1] - 1999年(平成11年)12月25日[1])は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)、オペラ歌手、音楽教育者。プリマドンナとして世界の一流の歌劇場で活躍した。本名は、二田原 敦子(にたはら あつこ)[1]。
東 敦子 (二田原 敦子) | |
---|---|
生誕 | 1936年12月11日 |
出身地 | 日本 大阪府 吹田市 |
死没 |
1999年12月25日(63歳没) 日本 |
学歴 |
東京藝術大学専攻科 パルマ音楽院 |
ジャンル | クラシック |
職業 |
ソプラノ歌手 オペラ歌手 音楽教育者 |
担当楽器 | 声楽 |
事務所 | NBS日本舞台芸術振興会 |
人物
編集大阪府吹田市出身[1]。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業[1]。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了[1]。四家文子に師事。1961年(昭和36年)イタリアに留学してエットレ・カンポガリアーニに師事。1964年(昭和39年)パルマ音楽院を首席[2]で卒業[1]。
1963年(昭和38年)レッジョ・エミリア市立歌劇場でマスカーニ『友人フリッツ』で[2]デビュー[3]。ミラノに居を構え[4]、1967年(昭和42年)ベルリン・ドイツ・オペラにプッチーニ『蝶々夫人』でデビュー。1971年(昭和46年)ウィーン国立歌劇場に『蝶々夫人』で出演(日本人で初めて)[5]。その成功により翌1972年(昭和47年)ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューし、世界の檜舞台でプリマドンナとして確固たる地位を築いた[3][6]。1978年(昭和53年)にはボリショイ劇場でプッチーニ『蝶々夫人』のタイトルロール(日本人で初めて)[1]。ほかにもバイエルン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、プラハ国立歌劇場、モンテカルロ王立歌劇場[5]、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン、ベルリン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場[2]など20余国、90の歌劇場でプリマドンナとして活躍[4]。蝶々さんは世界一[1]といわれ、20数ヶ国で約500回主演[1]し、「バタフライ・アズマ」とも呼ばれた[2]という。この間、日本にたびたび一時帰国し、1968年(昭和43年)に藤原歌劇団でヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ、1973年(昭和48年)に佐々木忠次の招聘・制作[4]により『蝶々夫人』、1977年(昭和52年)に再び藤原歌劇団で『椿姫』ヴィオレッタで主演している[7]。
1978年(昭和53年)以後、日本に本拠を移し、NBS日本舞台芸術振興会に所属[8]。藤原歌劇団を主舞台にして『ボエーム』『蝶々夫人』『椿姫』『トスカ』などに出演。全て主役である。1980年(昭和55年)アキレ・ペーリ国際音楽コンクールに東敦子賞が設けられた[1]。1987年(昭和62年)1月オペラ界から引退、以後は歌曲公演やテレビ出演のほか、後進の指導にあたる。同年新進声楽家育成のためグローバル東敦子賞が創設された[1]。
音楽教育者としては、東京音楽大学教授[9](死去時は客員教授)[10]、玉川大学客員教授[9]、東京藝術大学非常勤講師、 大分県立芸術短期大学非常勤講師[10]を務めた。門下生に佐野成宏、斉田正子、池田理代子[11]などがいる。
家族
編集主な受賞歴
編集日本でのオペラ出演歴
編集昭和音楽大学オペラ情報センターの記録[7]による。
- 1968年7 - 8月、藤原歌劇団・ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ
- 1973年4月、読売新聞社・プッチーニ『蝶々夫人』蝶々夫人
- 1977年1月、藤原歌劇団・ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ
- 1979年10月、コスモポリターナ歌劇・ヴェルディ『ドン・カルロ』エリザベッタ・ディ・ヴァロワ
- 1980年7月、長門美保歌劇団・レオンカヴァッロ『パリアッチ(道化師)』ネッダ
- 1980年2月、藤原歌劇団・プッチーニ『ボエーム』ミミ
- 1980年3月、藤原歌劇団・ビゼー『真珠採り』レイラ
- 1981年7月、藤原歌劇団・プッチーニ『蝶々夫人』蝶々夫人
- 1981年12月、日本楽劇協会・山田耕筰『香妃』香妃
- 1982年2月、藤原歌劇団・ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ
- 1983年2月、藤原歌劇団・プッチーニ『トスカ』トスカ
- 1984年2月、藤原歌劇団・プッチーニ『蝶々夫人』蝶々夫人
- 1984年9月、藤原歌劇団・プッチーニ『トスカ』トスカ
- 1985年8月、欧州音楽年日本実行委員会・マスカーニ『イリス』(日本初演)イリス
- 1986年11月、藤原歌劇団・プッチーニ『妖精ヴィッリ』(日本初演)アンナ
主な楽界・社会活動等
編集展覧会
編集2000年11 - 12月、玉川大学に寄贈された遺品により「プリマドンナ東敦子の世界展」が開催された[2]。
著書
編集- 『ベルカントヴォカリッツィ - やさしい発声トレーニング - (CDブック) 楽譜』東敦子著、島茂雄著(学研マーケティング、1998/12/10)ISBN 978-4051515102
- 『ふり向けば恵みの軌跡 東敦子自伝』(女子パウロ会、2000/1/1)ISBN 978-4789605168
- 『ある晴れた日に オペラとともに生きて』(平凡社、2000/4/1)ISBN 978-4582824339
ディスコグラフィ
編集- CD『東敦子 イタリア名歌集』(ユニバーサルミュージック)
- CD『東敦子の日本歌曲』(フォンテック、1990/2/25)
- CD『東敦子の日本歌曲』(フォンテック、2002/8/15)
- CD『プッチーニ:オペラハイライト』東敦子、松本幸三、森山俊吾:指揮、大阪CMCアカデミア管弦楽団(フォンテック (FOCD 3124)1991/03/25)
- CD『オペラ・アリア集』ミラノ・フィルハーモニー管弦楽団(コロムビアミュージックエンタテインメント、2008/7/23)
- CD『アヴェ・マリア集/東敦子』荒谷俊治:指揮、J.モルナール:ハープ、高浜知左、東京リーダーターフェル1925、東京コールフェライン(サンパウロ、1995/4/1)
- CD『東敦子の日本歌曲 2 高田三郎・山田耕筰歌曲集』高田江里、谷池重紬子(フォンテック、1996/10/25)
- CD『東敦子 マランゴーナの舟歌:プッチーニ、サデーロ歌曲集』ピアノ伴奏:谷池重紬子(フォンテック (FOCD 3185) 1993/12/10)
- CD『イタリア歌曲を歌う』三浦洋一(日本コロムビア、2018/2/22)
- CD『なつかしき愛の歌-もう一つの日本歌曲 - 堀内敬三の名訳詞による欧米名歌集』谷池重紬子(メディアリング、1995/9/25)
- CD『ツレうつクラシック』オムニバス(コロムビアミュージックエンタテインメント、2010/8/18)
- 「小倉百人一首 をうたう『伊能美智子・歌曲集』『伊能美智子・歌曲集2』より」柳下正明 :共演、高宮俊介 :朗読(音楽之友社、1994)
- CD『歌曲集小倉百人一首、モノ・オペラ マクベス MIK 30周年記念 伊能美智子作品集』佐藤征一郎 :共演(収録: 1992年6月、 1994年6月)(S-TWO Corporation、2004)
- CD『栄光のプリマ・ドンナ - 東敦子オペラ・アリア集』ミラノ・フィルハーモニー管弦楽団(コロムビアミュージックエンタテインメント 2008/7/23)
- DVD「東敦子オペラ『蝶々夫人』」1973年4月16日 東京文化会館 ライヴ、NBS日本舞台芸術振興会(1000枚限定販売)[13]
参考文献
編集- 自伝『ふり向けば恵みの軌跡』
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “東 敦子”. コトバンク 20世紀日本人名事典. 2020年6月6日閲覧。
- ^ a b c d e “プリマドンナ東敦子の世界展”. 玉川大学. 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b “東敦子”. TOWER RECORDS. 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b c d “東敦子の蝶々さん”. 日本舞台芸術振興会. 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b c “東敦子”. 日本人オペラ名鑑. 2020年6月7日閲覧。
- ^ Madama Butterfly {523} Metropolitan Opera House: 12/30/1972
- ^ a b “東敦子”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年6月7日閲覧。
- ^ “東 敦子”. コトバンク 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年6月6日閲覧。
- ^ a b c “東 敦子”. コトバンク 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年6月6日閲覧。
- ^ a b c d “プリマドンナ東敦子 - ご遺品のピアノにのせて -”. 東京音楽大学. 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b 日本経済新聞社・日経BP社. “オペラ歌手飛び立て 池田理代子さんが貯金ゼロの理由|エンタメ!|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2020年6月7日閲覧。
- ^ Wikipedia「ジロー・オペラ賞」の項目を参照
- ^ “東敦子さんの蝶々夫人に寄す―この演奏に出会える歓び!日本人としてオペラに親しんでいることの喜びさえも感じさせる、価値ある一枚”. オペラ・エクスプレス. 2020年6月7日閲覧。