東 一左右(ひがし いつそう、1845年2月18日弘化2年1月12日[1]) - 1914年大正3年)11月22日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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鹿児島県出身[2]薩摩藩造士館で学ぶ[2]戸長肝属郡高隈村(現・鹿屋市)長、肝属郡会議員、同参事会員、鹿児島県会議員、同参事会員、所得税調査委員、鹿児島県教育会諮問委員、同授産学校常議員、高隈村農会長となる[2]

1904年第9回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1908年第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1914年に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院 編『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1904年、29頁。NDLJP:900093 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』531頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』47頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。