杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日[1])は日本の政治家衆議院議員福岡県知事などを務めた。

杉本勝次
すぎもと かつじ
生年月日 1895年11月14日
出生地 日本の旗福岡県福岡市
没年月日 (1987-01-02) 1987年1月2日(91歳没)
出身校 東京帝国大学法学部政治学科(現東京大学法学部)
前職 西南学院専門学校(現西南学院大学)校長
現職 西南学院理事長
福岡放送取締役
称号 勲三等旭日中綬章

当選回数 1回
在任期間 1946年4月11日 - 1947年3月31日

当選回数 2回
在任期間 1956年3月1日 - 1963年1月10日

福岡県の旗 第1・2代福岡県知事
当選回数 2回
在任期間 1947年4月12日 - 1955年4月25日
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経歴

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福岡県福岡市出身。1914年、中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1921年東京帝国大学法学部政治学科卒業。

九州帝国大学福岡高校福岡女子専門学校の各講師、西南学院専門学校(現・西南学院大学)校長を経て、1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙福岡1区から社会党所属で出馬し当選、1期務める。1947年4月から2期、福岡県知事を務めて石炭政策を推進した。福岡県知事の任期満了後に両派社会党の推薦で福岡市長選に出馬するが保守系現職の小西春雄に敗れて落選、翌1956年3月から久留米市長となる。2期目途中の1963年、5市合併で発足した北九州市長選挙に自民党民社党の推薦を受けて立候補したが吉田法晴に敗れて落選、政界から退いた。その後は西南学院理事長、福岡放送取締役を務めた。1987年1月2日、急性心不全のため91歳で逝去。

1966年勲三等旭日中綬章1982年キリスト教功労者の表彰を受ける[2]

脚注

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公職
先代
山下善助
  福岡県久留米市長
1956年-1963年
次代
井上義人
先代
新設
 福岡県知事
公選初代-第2代:1947年-1955年
次代
土屋香鹿