朴興植 (実業家)
大韓民国の実業家
(朴興植から転送)
朴 興植(박 흥식、パク・フンシク、1903年(明治36年)9月26日 - 1994年5月10日)は、大韓民国の実業家。
パク・フンシク 朴 興植[1] | |
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生誕 |
1903年(明治36年)9月26日 大韓帝国・平安南道龍岡郡 |
死没 |
1994年5月10日(90歳没) 韓国・ソウル特別市鍾路区ソウル大学校付属病院 |
住居 | 大韓帝国 → 大韓民国 |
国籍 | 大韓帝国 → 大韓民国 |
出身校 | 大韓帝国・平安南道龍江普通学校 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1931年 - 1994年 |
著名な実績 |
和信百貨店創業者、初代社長 自由党政治経済外交行政特報委員[2] 大韓民国経済企画院特任嘱託員 民主党(ko:민주당 (대한민국, 1963년))経済実務外交特報委員 全国経済人連合会名誉会長 |
活動拠点 | 大韓帝国 |
罪名 | 日本帝国主義の軍事費調達のため財産献納を主導したなど。 |
犯罪者現況 | 1949年逮捕 |
概要
編集1931年(昭和6年/民国13年)、朝鮮民族による初めての百貨店である和信百貨店を創業した[1]。1939年(昭和14年/民国21年)には、西友師範学校を前身とする五星学校を受け継いで、朝鮮飛行機工業学校に改称した[3]。太平洋戦争中は、1941年(昭和16年/民国23年)8月に発足した興亜報国団に参加した。1945年(昭和20年/民国27年)の光復後、学校法人光神学院を設立したが[3]、1949年(檀紀4282年)、日本帝国主義の軍事費調達のため財産献納を主導した、などを理由として、反民族行為特別調査委員会による最初の逮捕者となった[3]。