札幌市立白石小学校
札幌市の小学校
札幌市立白石小学校(さっぽろしりつ しろいししょうがっこう)は、北海道札幌市白石区本通にある公立の小学校。1872年に開校し、札幌市内に現存するものとしては最も古い歴史をもつ学校である[注釈 1]。
札幌市立白石小学校 | |
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北緯43度03分09秒 東経141度24分21秒 / 北緯43.05256度 東経141.40581度座標: 北緯43度03分09秒 東経141度24分21秒 / 北緯43.05256度 東経141.40581度 | |
過去の名称 |
善俗堂 公立白石学校 白石簡易小学校 公立白石小学校 公立白石尋常小学校 公立白石尋常高等小学校 公立白石国民学校 公立白石小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 札幌市 |
開校記念日 | 4月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B101210440025 |
所在地 | 〒003-0027 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集教育目標
編集強く 正しく 素直にのびる白石の子ども
- 強い子 - 心身ともに健康で 意思の強い子ども
- 考える子 - 進んで学び 創意工夫する子ども
- 明るい子 - 明るく 情操豊かな子ども
- 助け合う子 - すなおで 協力し合う子ども
- 礼儀正しい子 - やさしくて 礼儀正しい子ども
校歌
編集作詞:古瀬秀男、作曲:千葉日出城
沿革
編集- 1872年(明治5年)
- 1874年(明治7年) - 白石村6番地と8番地との間[注釈 5](現・札幌市白石区中央2条3丁目)[2]に校舎を移転、村学舎と称する[1] 。
- 1881年(明治14年)4月15日 - 公立白石学校と改称、この日を開校記念日とする[4]。
- 1882年(明治15年)4月 - 白石村48番地(現・札幌市白石区本通1丁目北)に校舎を新築[5][注釈 6]。
- 1887年(明治20年)4月 - 白石簡易小学校(修業年限3年)を設置、公立白石学校は廃止となる[6]。
- 1889年(明治22年)10月 - 補習科(修業年限1年)を設置[7]。
- 1890年(明治23年)4月 - 公立白石小学校と改称[8][注釈 7]。
- 1896年(明治29年)4月 - 公立白石尋常小学校と改称(修業年限4年)[9]。
- 1898年(明治31年)4月 - 補習科(修業年限2年)を設置[10]。
- 1900年(明治33年)6月 - 上白石尋常小学校(現・札幌市立上白石小学校)開校[11]、生徒18名移る[12]。
- 1901年(明治34年)4月 - 公立白石尋常高等小学校と改称(尋常科4年、高等科2年)[6]。
- 1902年(明治35年)4月 - 高等科を修業年限3年とする[6]。
- 1906年(明治39年)4月 - 高等科を修業年限4年とする[13]。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令改正、尋常科6年、高等科2年とする[14]。
- 1912年(明治45年)6月 - 旧校章を制定[15]。
- 1922年(大正11年)4月 - 開校50周年を祝う[16]。
- 1926年(大正15年)7月 - 白石青年訓練所を併置[17]。
- 1932年(昭和7年)4月 - 白石青年国民学校を併置(7月開校)[17]。
- 1934年(昭和9年)6月 - 2階建ての校舎と体育館を新築[18]。
- 1935年(昭和10年) - 青年学校令施行、白石青年訓練所を白石村立青年学校に改称(白石青年国民学校を廃止)[19]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行、公立白石国民学校と改称[20]。
- 1942年(昭和17年) - 開校70周年を祝う[21]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行、公立白石小学校と改称[22]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 父母と先生の会(PTA)創立[23]。
- 1950年(昭和25年)7月 - 白石村と札幌市の合併に伴い、札幌市立白石小学校と改称[24]。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)11月 - 開校80周年を祝い、校歌を制定、校章・校旗を新しくする[27]。
- 1958年(昭和33年)10月 - 札幌市立本郷小学校へ児童326名移る[28]。
- 1959年(昭和34年)9月 - 札幌市立本郷小学校へ児童549名移る[29]。
- 1961年(昭和36年) - 開校90年記念研究大会を行い、記念誌「しろいし」を発行する[30]。
- 1962年(昭和37年)10月 - 開校90周年を祝う[31]。
- 1963年(昭和38年)1月 - 札幌市立南郷小学校へ児童295名移る[32]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)1月 - 札幌市立東札幌小学校へ児童50名移る[33]。
- 1966年(昭和41年)1月 - 札幌市立北郷小学校へ児童644名移る[33]。
- 1969年(昭和44年)12月 - スケートリンクを開設[35]。
- 1970年(昭和45年)6月 - 特殊学級と家庭教育学級を開級。
- 1972年(昭和47年)12月 - 札幌市立西白石小学校へ児童474名移る。
- 1973年(昭和48年)10月 - 現在の校舎を新築する。開校100周年を祝う
- 1974年(昭和49年)2月 - 開校100周年を記念し、教育実践発表会を行う。
- 1976年(昭和51年)2月 - 道精連研究大会会場校となり、授業を公開する。
- 1977年(昭和52年)8月 - 宮城県白石市立第一小学校と交歓会を行う。
- 1978年(昭和53年)5月 - 江差町立江差小学校と交歓会を行う。
- 1981年(昭和56年)10月 - 全道社会科教育研究大会会場校となる
- 1982年(昭和57年)
- 7月 - 開校110周年を記念し、教育実践発表会を行う。
- 11月 - 開校110周年を祝う。
- 1985年(昭和60年) - 特別支援学級を「たけのこ学級」と命名
- 1988年(昭和63年)12月 - 体育館が新築される
- 1991年(平成3年)
- 1月 - グランドのスケートリンク造成20年間の幕を閉じる。
- 11月 - ソニー教育実践「優良校」を受賞する
- 1992年(平成4年)
- 4月 - 宇宙のトマトを栽培する。
- 7月 - 開校120周年を記念し、モニュメント「飛翔」を設置。
- 8月 - 開校120周年記念誌を刊行する。
- 11月 - ソニー教育実践「優秀校」を受賞する
- 1993年(平成5年)9月 - 第40回北海道小学校理科教育研究大会会場校となる
- 1994年(平成6年)
- 6月 - 現在のプールが新築される。
- 11月 - 温室(ガラス製)が校舎西側に新しく設置される。
- 1995年(平成7年)9月 - 第23回札幌市社会科教育連盟研究大会会場校となる。
- 1999年(平成11年)3月 - 全校児童参加の卒業式に切り換える。
- 2000年(平成12年)
- 7月 - 校舎大規模改造工事始まる。
- 11月 - 多目的室、事務室、教育相談室、コンピュータ室、図書室、階段室完成
- 2002年(平成14年)
- 5月 - 北海道新聞社から千本桜運動の一環として、エゾヤマザクラの苗木7本贈られる。
- 11月 - 開校130周年記念式典及び祝賀会が行われる
- 2003年(平成15年)
- 7月 - 沖縄県具志川小とパソコン・TVシステム授業を行う。
- 8月 - 北海道日本ハムファイターズ選手2名との交流
- 2004年(平成16年)9月 - 白石の森が台風18号の被害(アカマツなどが倒木)
行事
編集- 4月 - 1学期始業式、着任式、入学式、1年生を迎える会
- 5月 - 運動会
- 6月 - 遠足
- 7月 - 夏季休業
- 8月 - 2学期始業式
- 9月 - 修学旅行(6年)
- 10月 - 学習発表会
- 11月 - 滝野宿泊学習(5年)
- 12月 - ハルニレ祭り、冬季休業
- 1月 - 3学期始業式
- 2月 - ハルニレお別れ集会
- 3月 - 卒業式、修了式・離任式、春季休業
校区内に校区がある中学校
編集通学区域
編集- 中央1条5丁目 - 中央1条7丁目
- 本通1丁目南・本通2丁目南
- 本通1丁目北 - 本通3丁目北
- 平和通1丁目南 - 平和通3丁目南
- 平和通1丁目北 - 平和通3丁目北
- 本郷通1丁目北・本郷通2丁目北
交通
編集脚注
編集注釈
編集- ^ かつては札幌市立創成小学校(2004年廃校)についで市内で2番目に古い学校(『札幌の小学校』286頁)であった。
- ^ グレゴリオ暦1872年4月8日 - 5月6日に該当。
- ^ 『白石歴しるべ』18頁で「右28番地と29番地の間」としているのは、開拓初期の地割番号。同書12-13頁参照。
- ^ グレゴリオ暦1872年5月7日 - 6月5日に該当。
- ^ 『白石歴しるべ』18頁で「12番地」としているのは、開拓初期の地割番号。同書12-13頁参照。
- ^ 『白石百年』巻末年表(204頁)では明治14年4月15日に校舎を新築移転したことになっており、本文との齟齬が見られる。
- ^ 『白石百年』204頁ではこの時に公立白石尋常小学校と改称したことになっており、本文との齟齬が見られる。同書46頁掲載の卒業証書の写真に「小学簡易科卒業候事 明治26年5月1日 北海道石狩国札幌郡 公立白石小学校」とあることから、年表の記述は誤りと見られる。また、『札幌教育史 上巻』183頁に「(明治)23年4月には簡易科を廃止し尋常科3年にし補習科に継げた」とあるが、この記述も上述卒業証書の写真に合致しない。
出典
編集- ^ a b 『白石百年』35頁、204頁
- ^ a b 『白石歴しるべ』18頁
- ^ a b 『白石百年』34‐35頁、204頁
- ^ 『白石百年』36頁、204頁
- ^ 『白石百年』36頁
- ^ a b c 『白石百年』37頁、204頁
- ^ 『白石百年』37頁、『札幌教育史 上』182-183頁
- ^ 『白石百年』37頁
- ^ 『札幌教育史 上』183頁
- ^ 『白石百年』37頁、205頁、『札幌教育史 上』183頁
- ^ 『札幌教育史 上』巻末年表22頁
- ^ 『札幌の小学校』287頁
- ^ 『白石百年』37頁、205頁
- ^ 『白石百年』45頁、205頁
- ^ 『白石百年』48頁、206頁
- ^ 『白石百年』206頁
- ^ a b 『白石百年』72頁、206頁
- ^ 『白石百年』75‐76頁、207頁
- ^ 『白石百年』74頁、207頁
- ^ 『白石百年』86頁、207頁
- ^ 『白石百年』89頁、207頁
- ^ 『白石百年』101頁、207頁
- ^ 『白石百年』104頁、207頁
- ^ 『白石百年』108頁、207頁
- ^ 『白石百年』208頁
- ^ 『白石百年』108頁、113頁、208頁
- ^ 『白石百年』109-110頁、208頁
- ^ 『白石百年』113頁、115頁、209頁
- ^ 『白石百年』113頁、123頁、209頁
- ^ 『白石百年』125頁、209頁
- ^ 『白石百年』129頁、210頁
- ^ 『白石百年』113頁、130頁、210頁
- ^ a b c 『白石百年』113頁、132頁、210頁
- ^ 『白石百年』132頁、210頁
- ^ 『白石百年』136頁、211頁