本庄 道貫(ほんじょう みちつら)は、江戸時代後期の大名伏見奉行若年寄美濃国高富藩9代藩主。

 
本庄道貫
時代 江戸時代後期
生誕 寛政9年11月5日1797年12月22日
死没 安政5年8月26日1858年10月2日
改名 陽之助(幼名)→道貫
墓所 新宿区亮朝院
幕府 江戸幕府伏見奉行若年寄
主君 徳川家斉家慶家定
美濃高富藩
氏族 大河内松平家本庄氏
父母 松平信明、母:塚口氏
兄弟 某、松平信順、篤之助、泉吉郎、道貫松平信厚津軽順承、某、深井信恭、某、松平忠質内藤忠行大森頼実阿部正瞭、孝、雅、栄、従、錦、厚、睦、庸
正室:本庄道昌娘・蕃
継室:堀直皓
道美道寛松平宗秀養女、牧野忠直正室、水野忠英室、内藤某
テンプレートを表示

略歴

編集

三河吉田藩主・松平信明の四男。高富藩第6代藩主の本庄道揚は大叔父にあたる。母は側室の塚口氏。幼名は陽之助。

先代・道昌の養子となり、文政2年(1819年)に養父の隠居により家督を相続する。農民には植林を命じ、家臣には厳しい倹約を命じた。そのほか、目安箱の設置、年貢の増徴、藩札の発行などの藩政改革を実施したが、領民の抵抗に遭った。幕政においては伏見奉行や奏者番、若年寄を歴任した。1858年(安政5年)、死去。跡を長男の道美が継いだ。

年表

編集
  • 寛政9年(1797年)11月5日、江戸に生まれる。
  • 文化3年(1806年)11月9日、本庄道昌の養子となる。
  • 文化10年(1813年)12月16日、従五位下・近江守に叙任。
  • 文政2年(1819年)3月22日、養父道昌が隠居、家督を相続。
  • 文政6年(1823年)4月14日、伊勢守と改める。
  • 文政10年(1827年)10月12日、伏見奉行に任ぜられる。
  • 天保4年(1833年)6月8日、奏者番となる。
  • 天保12年(1841年)9月14日、若年寄となる。
  • 天保14年(1843年)閏9月11日、安芸守と改める。
  • 安政5年(1858年)8月23日、病気につき、御役御免の願いを提出。現職のまま26日に死去。

系譜

編集

父母

正室、継室

子女

脚注

編集
  1. ^ 読みはしげ