本多政以

日本の江戸時代後期~大正時代の武士・男爵・政治家・実業家。加賀藩年寄本多政均長男で、加賀八家本多氏12代当主

本多 政以(ほんだ まさざね、元治元年10月21日1864年11月20日)- 大正10年(1921年7月16日[1]) は、加賀八家本多家第12代当主。男爵貴族院議員。

本多政以

妻は荒木左次馬の娘。子は本多政樹長基連。幼名資松。家紋は「丸ノ内立葵」。

生涯

編集

加賀藩家老本多政均の長男として生まれる。明治2年(1869年)、父政均が暗殺され5歳で家督を相続する。

明治13年(1880年泊園書院に入塾[2]、明治24年(1891年)葵製糸場を創業、明治26年(1893年)羽二重機業場に発展させた。明治30年(1897年)石川県農工銀行頭取となる。明治33年(1900年従五位、男爵に叙され華族となる[3]。明治37年(1904年)7月10日、貴族院男爵議員に就任し[4]公正会に所属して活動し[1]、1920年(大正9年)12月14日まで在任[5]。大正10年(1921年)7月16日没。享年58。

栄典

編集

親族

編集
  • 本多政樹 - 長男。男爵・貴族院議員。
  • 長基連 - 次男、男爵長克連の養子。男爵・貴族院議員。
  • 茨木清次郎 - 長女の夫。東京音楽学校校長・東京外国語学校校長・松本高等学校校長・東京女子高等師範学校校長・浦和高等学校校長。

脚注

編集
  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』84頁。
  2. ^ 『泊園書院に学んだ実業家たち 東畡・南岳叙位祝賀会の発起人に着目して』338頁。
  3. ^ 『官報』号外、明治33年5月9日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  6. ^ 『官報』第1518号「彙報」1888年7月21日。

参考文献

編集
  • 国会図書館所蔵「人事興信録」
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
加賀本多家初代
1900年 - 1921年
次代
本多政樹