木村 利武(きむら としたけ、嘉永3年11月28日1850年12月31日[1][2] - 1914年大正3年)10月2日[1])は、明治時代の政治家実業家愛媛県松山市長。

経歴・人物

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松山城下柳井町で藩士・木村利長の長男として生まれる[注釈 1][1][2]1871年(明治4年)松山県庁掌、1874年(明治7年)愛媛県雇・戸長、1878年(明治11年)風早郡書記、1880年(明治13年)同郡長心得、1886年(明治19年)風早・和気温泉久米郡長心得を歴任[1]1890年(明治23年)1月に松山五十二銀行取締役に転じたが、同年2月6日、推挙され松山市長に就任した[1][3]

1896年(明治29年)2月まで市長を務めたのち、実業界に入り、松山商業銀行頭取、同行取締役、松山商業会議所会長などを歴任した[1][2]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第4版』によると次男[2]

出典

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参考文献

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