木下順一
木下 順一(きのした じゅんいち、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2005年〈平成17年〉10月27日)は、日本の作家、雑誌編集長。北海道函館市真砂町(後の大手町)出身。東京都台東区上野の文部省図書館職員養成所(後の図書館情報大学)卒業[1]。
木下 順一 | |
---|---|
誕生 |
1929年6月1日 北海道函館市真砂町 (後の大手町) |
死没 | 2005年10月27日(76歳没) |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 |
文部省図書館職員養成所 (後の図書館情報大学) |
ジャンル | 小説、随筆、エッセイ |
代表作 | 『湯灌師』(1997年) |
主な受賞歴 |
第48回函館市文化賞(1997年) 第32回北海道新聞文学賞(1998年) |
ウィキポータル 文学 |
人物歴
編集図書館職員養成所時代から小説家を志し、学友たちと文芸雑誌を創刊し、小説を掲載するなどの活動を行なっていた。21歳のときに書いた小説『怪物』は、作家の埴谷雄高から評価を受けた[1]。
1962年(昭和37年)、地元の函館で季刊誌『函館百点』(後に『はこだて』、さらに後に『街』と改題)の創刊メンバーに加わり、創刊後も編集と発行に携わった。1975年(昭和50年)からは函館文学学校の講師を務め、雑誌と学校で地元の人材育成と地域文化に貢献した[2]。後に『街』編集スタッフの1人が「文学を志す人以外にも執筆者を求め、発掘するプロでもあった[3]」と語っている[4]。『街』誌上では、時代を辛口に批評する木下のコーナーも人気を博した[5]。
作家としては、文芸雑誌などで小説や随筆の発表を行なった。7歳のときに結核性関節炎で右足切断手術を受け、義足生活を強いられている経験から、切断障害の境遇や障害者差別を取り上げた作品も見受けられる[6][7]。1997年(平成9年)、第48回函館市文化賞を受賞[2]。翌1998年(平成10年)、小説『湯灌師』で第32回北海道新聞文学賞を受賞した[1]。
2005年2月、木下の高齢を理由に『街』が休刊。同年10月、前立腺癌により満76歳で死去[1][8]。
没後の2006年(平成18年)6月、木下の遺志を継ぐ元編集員により『街』が復刊され、2012年(平成24年)の廃刊までに通算536号を発行した。翌2013年(平成25年)、『街』の歩みを振り返る『わが街 はこだて タウン誌50年』が発刊された[1]。2007年(平成19年)からは長女夫妻がウェブサイトを立ち上げ、木下の功績を広める活動を行なっている[8]。
脚注
編集- ^ a b c d e 函館市文化・スポーツ振興財団
- ^ a b “木下順一さん死去”. 函館ニュースヘッドライン (函館市道南地域ポータル e-HAKODATE). (2005年10月28日) 2016年4月9日閲覧。
- ^ 半澤 2015より引用。
- ^ 半澤孝平 (2015年11月11日). “まちセンで故木下順一さんをしのぶ企画展”. 函館新聞 (函館新聞社) 2016年4月9日閲覧。
- ^ “タウン誌「街」初の展示会 創刊号から現在まで振り返る”. 函館新聞. (2009年7月17日) 2016年4月9日閲覧。
- ^ 佐々木馨『生と死の日本思想 現代の死生観と中世仏教の思想』トランスビュー、2002年3月20日、110頁。ISBN 978-4-901510-04-2。
- ^ 松本道介「同人雑誌評 才能と運命」『文學界』第53巻第5号、文藝春秋、1999年5月、354頁、NCID AA12358255。
- ^ a b “父の足跡 心に刻み…作家・故木下順一さんの娘がHP開設、更新中”. 函館新聞. (2009年4月15日) 2016年4月9日閲覧。
外部リンク
編集- はこだて人物誌 木下順一 - 函館市文化・スポーツ振興財団
- 天使の微笑み 〜函館を愛した作家 木下順一〜 - 長女夫妻によるサイト