木下亮
木下 亮(きのした りょう、1931年2月28日 - )[3]は兵庫県神戸市出身の映像監督である[4][5][6]。
きのした りょう 木下亮 | |
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生年月日 | 1931年2月28日(93歳) |
出生地 | 兵庫県神戸市 |
職業 | 映画監督、テレビドラマ監督 |
著名な家族 | 原節子(母方の伯母)[1][2] |
主な作品 | |
太陽にほえろ! 俺たちは天使だ! 刑事貴族 |
銀行員であった父親の転勤により、幼少期に日本から大連へと移住した[4]。その後帰国し、1956年、東宝に助監督として入社、森谷司郎、恩地日出夫などが同期[4]。豊田四郎・成瀬巳喜男・川島雄三らの助監督に付く[3][5]。1964年『男嫌い』で監督に昇進[5][4][3]。1967年からはフリーランスとなる[4]。
テレビドラマでは『太陽にほえろ!』(合計57エピソードを監督)、『俺たちは天使だ!』などを監督。沖雅也主演の『俺たちは天使だ!』ではメイン監督として、全20話のうち12話を監督し、ヒット作品とした[5]。
その他
編集喜劇作品を特に得意としていた、川島雄三の最後の弟子と言える存在である[5]。川島から大きな影響を受けたことから[5]、喜劇が自らの得意とする分野で[5]、アクションは得意でないとし[5]、『太陽にほえろ!』には、アクションではなく、女性ゲストメインに据えたストーリーを監督するという約束で参加した[5]。しかしその後は、アクションをメイン据えたストーリーも監督することとなった[5]。
主な作品
編集映画
編集- 特急にっぽん (1961、助監督)
- 箱根山 (1962、助監督)
- イチかバチか(1963、助監督)
- 男嫌い (1964)
- 肉体の学校 (1965)
- 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ (1982)
- 子象物語 地上に降りた天使 (1986)
テレビドラマ
編集- 嫁ゆかば (1969) (1、2話)
- まごころ (1973) (5、9話)
- 太陽にほえろ! (1974-1986) (94、95、102、103、107、108、202、204、254、255、264、265、275、276、279、280、287、288、295、296、301、302、307、308、313、314、319、320、325、326、331、332、339、340、343、344、381、382、388、397、398、451、454、477、478、560、561、604、605、623、624、629、630、644、660、661、713話)
- 太陽にほえろ!PART2 (1986) (3、4話)
- 俺たちの旅 (1975) (39、40話)
- いろはの"い" (1976-77) (3、4、7、8、13、14、21、22、26、29、30、33、34話)
- 俺たちの朝 (1976) (27、28、44話)
- 俺たちは天使だ! (1979) (1、2、5、6、9、10、13、14、17、18、19、20話)
- この命に愛を! たとえ望まれぬ赤ちゃんでも私は殺せない!! (1980)
- 大捜査線シリーズ 追跡 (1980) (5、6、9、10話)
- ただいま放課後 (1980) (9、10話)
- 俺はおまわり君 (1981) (5、6、12、13話)
- 陽あたり良好! (1982) (1、2、5、6、13、14、17、18話)
- 卒業-GRADUATION- (1985)
- 誇りの報酬 (1985-86) (3、5、11、12、15、16、48、49話)
- ジャングル (1987) (1、4話)
- ハロー!グッバイ (1989)
- 刑事貴族 (1990-91) (2、3、10、11、14、15、17、20、21、36、最終話)
- 刑事貴族3 (1992) (20、21話)
- 火曜サスペンス劇場
- 恐怖のエレベーター (1983)
- 天使の復讐 (1983)
- 偽りの心中 (1985)
- 向日葵は知っていた (1985)
- 逢うときはいつも他人
- 妹の愛した男 (1988)
- 疑惑の墓標 教え子が消えた! (1989)
- 付添婦・三好秀美の興味ある体験 (1989)
- 妻たちの戦争 (2000)
- 介護福祉士 哀しい嘘 (2000) (他にも多数)