旧制中等教育学校の一覧 (京都府)
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京都府における旧制中等教育学校の一覧(きゅうせいちゅうとうきょういくがっこうのいちらん)とは、学制改革前(第二次世界大戦前)の京都府内での旧学制の中等教育学校をまとめた一覧である。
旧制中学校
編集公立
編集- 京都府中学校(1870年)⇒ 京都府中学 ⇒ 京都府京都中学校 ⇒ 京都府尋常中学校 ⇒ 京都府第一中学校 ⇒ 京都府立第一中学校 ⇒ 京都府立京都第一中学校(1918年[1]) ⇒《新制》京都府立洛北高等学校 ⇒ 京都府立洛北高等学校・附属中学校(2004年)
- 京都府第二中学校(1900年)⇒ 京都府立第二中学校 ⇒ 京都府立京都第二中学校(1918年[1]) ⇒《新制》京都府立洛南高等学校 ⇒(1948年:廃止)→(1984年:再設置)京都府立鳥羽高等学校
- 京都府第三中学校(1900年)⇒ 京都府立第三中学校 ⇒ 京都府立福知山中学校(1918年[1]) ⇒《新制》京都府立福知山高等学校 ⇒ 京都府立福知山高等学校・附属中学校(2015年)
- 京都府立第四中学校(1906年)⇒ 京都府立宮津中学校(1918年[1]) ⇒《新制・統合》京都府立宮津高等学校 ⇒(2020年:統合)京都府立宮津天橋高等学校
- 京都府立第五中学校(1907年)⇒ 京都府立京都第三中学校(1918年[1]) ⇒《新制》京都府立山城高等学校
- 京都府立桃山中学校(1921年:開校前仮称「京都府立京都第四中学校」)⇒《新制》京都府立桃山高等学校
- 京都府立舞鶴中学校(1922年)⇒ 京都府立舞鶴第一中学校 ⇒《新制》京都府立西舞鶴高等学校
- 京都府立園部中学校(1926年)⇒《新制》京都府立園部高等学校 ⇒ 京都府立園部高等学校・附属中学校(2006年)
- 京都府立東舞鶴中学校(1940年)⇒ 京都府立舞鶴第二中学校 ⇒《新制》京都府立東舞鶴高等学校
- 京都府立京都第五中学校(1941年)⇒《新制・統合》京都府立桂高等学校
私立
編集- 京都府下小教校(1875年)⇒ 大谷尋常中学校(1893年)⇒ 真宗第一中学寮 ⇒ 真宗京都中学 ⇒ 大谷中学校 ⇒《新制》大谷中学校・高等学校
- 同志社尋常中学校(1896年)⇒ 同志社中学校 ⇒《新制》同志社中学校・高等学校
- 金亀教校(1876年)⇒ 第三仏教中学校(1902年)⇒ 私立平安中学校 ⇒《新制》平安高等学校 ⇒ 龍谷大学付属平安高等学校 ⇒ 龍谷大学付属平安中学校・高等学校(2008年)
- 総黌(1881年)⇒ 私立古義真言宗聯合高等中学校(1902年)⇒ 真言宗京都中学 ⇒ 東寺中学校 ⇒《新制》東寺高等学校 ⇒ 洛南高等学校 ⇒ 洛南高等学校・附属中学校(1985年)
- 清和普通学校(1905年)⇒ 清和中学校(1906年)⇒ 立命館中学校 ⇒《新制》立命館中学校・高等学校
- 私立京都中学(1906年)⇒ 京都中学校 ⇒《新制》京都高等学校(1951年:閉校)[5]
- 勧学院(1868年)⇒ 浄土宗総本山宗学校 ⇒ 西部大学林 ⇒ 第五教区宗学教校 ⇒ 東山中学校(1912年)⇒《新制》東山中学校・高等学校
- 般若林(1872年)⇒ 普通学林 ⇒ 花園学林 ⇒ 花園学院 ⇒ 花園中学校(1919年)⇒ 臨済学院中等部 ⇒《新制》花園中学校・高等学校
- 連合般若林(1892年)⇒ 紫野中学 ⇒(1939年:閉校)
高等女学校
編集公立
編集- 新英学校及女紅場(1872年)⇒ 英女学校及女紅場(1874年)⇒ 女学校及女紅場(1876年)⇒ 京都府女学校及女紅場(1877年)⇒ 京都府女学校(1882年)⇒ 京都府高等女学校(1887年)⇒ 京都府立第一高等女学校(1904年)⇒ 京都府立京都第一高等女学校(1923年)⇒《新制》京都府立鴨沂高等学校 [7][8][9][注釈 1]
- 京都府立第二高等女学校(1904年)⇒ 京都府立京都第二高等女学校(1923年)⇒《新制》京都府立朱雀高等学校 [9]
- 南桑田郡立高等女学校(1904年)⇒ 京都府立亀岡高等女学校 ⇒《新制》京都府立亀岡高等学校
- 与謝郡立高等女学校(1906年)⇒ 京都府立宮津高等女学校 ⇒《新制・統合》京都府立宮津高等学校 ⇒(2020年:統合)京都府立宮津天橋高等学校
- 加佐郡立高等女学校(1906年)⇒ 京都府立舞鶴高等女学校 ⇒ 京都府立舞鶴第一高等女学校 ⇒《新制》京都府立西舞鶴女子高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立西舞鶴高等学校
- 船井郡立高等女学校(1908年)⇒ 京都府立園部高等女学校(1923年)⇒(1926年:閉校)
- 京都府天田郡立高等女学校(1909年)⇒ 京都府立福知山高等女学校 ⇒《新制》京都府立福知山女子高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立福知山高等学校 ⇒ 京都府立福知山高等学校・附属中学校(2015年)
- 京都府立桃山高等女学校(1918年:京都府女子師範学校に併設)⇒《新制》京都府立桃山女子高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立桃山高等学校 [注釈 2]
- 何鹿郡立女子実業学校 ⇒ 京都府何鹿高等女学校(1920年)⇒ 京都府立綾部高等女学校 ⇒《新制》京都府立綾部高等学校
- 京都府立東舞鶴高等女学校(1940年)⇒ 京都府立舞鶴第二高等女学校 ⇒《新制》京都府立東舞鶴女子高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立東舞鶴高等学校
- 東舞鶴市立実科高等女学校(1941年)⇒ 東舞鶴市立東舞鶴高等女学校(1943年)⇒ 舞鶴市立中舞鶴高等女学校 ⇒《新制》舞鶴市立中舞鶴女子高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立東舞鶴高等学校
- 京都府立嵯峨野高等女学校(1941年)⇒(1948年:閉校) →《新制》(1950年:再発足)京都府立嵯峨野高等学校 [10]
- 峰山町立峰山女学校 ⇒ 峰山町立峰山実科高等女学校 ⇒ 京都府立峰山高等女学校(1943年)⇒《新制》京都府立峰山高等学校
- 京都府立城南高等女学校(1943年)⇒《新制》京都府立城南高等学校 ⇒(2009年:統合)京都府立城南菱創高等学校
- 京都市立高等女学校(1908年)⇒ 京都市立第一高等女学校(1922年)⇒ 京都市立堀川高等女学校(1928年)⇒《新制》京都市立堀川高等学校 [9]
- 京都市立第二高等女学校(1922年)⇒ 京都市立二条高等女学校(1928年)⇒(1948年:閉校) [9]
- 私立板橋裁縫専修学校(1901年)⇒(1918年:伏見町に移管)伏見町立女子手芸学校 ⇒ 伏見町立実科高等女学校(1929年)⇒ 京都市立伏見実科高等女学校 ⇒(1948年:閉校) [9]
私立
編集- 同志社女子部(1876年)⇒ 同志社分校女紅場(1877年)⇒ 同志社女学校 (1877年)⇒ 同志社高等女学部(1930年)⇒ 同志社高等女学校(1945年)⇒《新制》同志社女子中学校・高等学校 [11][12][9][注釈 3]
- エディの学校(1875年:大阪川口居留地)⇒ 照暗女学校(1880年)⇒ 平安女学院(1894年)⇒(1895年:京都市の現在地に移転)⇒ 平安高等女学校(1915年)⇒《新制》平安女学院中学校・高等学校 [13]
- 京都淑女女学校(1901年)⇒ 京都淑女高等女学校(1906年)⇒《新制》京都淑女中学校・高等学校 ⇒(1953年:閉校)[9]
- 菊花女学校(1903年)⇒ 菊花高等女学校(1907年)⇒(1948年:閉校)[9]
- 顕道女学院(1899年)⇒ 文中園(1900年)⇒ 文中女学校 ⇒ 京都高等女学校(1910年)[注釈 4] ⇒《新制》京都女子中学校・高等学校 [9]
- 精華女学校(1905年)⇒ 精華高等女学校(1908年)⇒《新制》精華女子中学校・高等学校 ⇒ 京都精華学園中学校・高等学校 [9]
- 華頂女学院(1911年)⇒ 華頂実科高等女学校 ⇒ 華頂高等女学校(1919年)⇒《新制》華頂女子中学校・高等学校 [9]
- 明徳女学校(1921年)⇒ 明徳高等女学校(1924年)⇒《新制》明徳女子高等学校 ⇒ 明徳女子商業高等学校 ⇒ 明徳商業高等学校 ⇒ 京都明徳高等学校 [10]
- 西山高等女学校(1927年)⇒《新制》西山高等学校 ⇒ 京都西山高等学校
- 高等家政女学校(1904年)⇒ 家政高等女学校(1924年)⇒ 家政学園高等女学校(1944年)⇒《新制》家政学園中学校・高等学校 ⇒ 京都文教中学校・高等学校 [9]
- 成安裁縫学校(1920年)⇒ 京都成安女子学院(1923年)⇒ 京都成安高等女学校(1940年)⇒《新制》成安女子中学校・高等学校 ⇒ 京都成安中学校・高等学校 ⇒ 京都産業大学附属中学校・高等学校 [10]
- 光華高等女学校(1940年)⇒《新制》光華中学校・高等学校 ⇒ 京都光華中学校・高等学校 [10]
- 菊花高等家政女学校(1928年)⇒ 園部菊花高等女学校(1941年)⇒《新制》園部菊花女子高等学校 ⇒ 聖家族女子高等学校 ⇒ 京都聖カタリナ女子高等学校 ⇒ 京都聖カタリナ高等学校
実業学校
編集公立
編集京都市
編集- 京都府画学校(1880年)⇒ 京都市美術学校 ⇒ 京都市美術工芸学校 ⇒ 京都市立美術工芸学校 ⇒《新制》京都市立銅駝美術工芸高等学校 ⇒ 京都市立美術工芸高等学校
- 京都染工講習所(1886年:上京区)⇒ 京都市染織学校(1894年:上京区釜座通椹木町上る東裏辻町)⇒(1912年:上京区烏丸通上立売上相国寺門前町へ移転)⇒ 京都市立工業学校(1919年)⇒ 京都市立第一工業学校(1925年)⇒(1935年:下京区唐橋大宮尻町へ移転)⇒《新制》京都市立洛陽高等学校 ⇒(1963年:普通課程を京都市立塔南高等学校へ移管)京都市立洛陽工業高等学校 ⇒(2016年:統合。伏見区深草西出山町)京都市立京都工学院高等学校
- 京都市立工業学校 分教場(1920年:上京区五辻通浄福寺西入)⇒ 京都市立第二工業学校(1925年:独立 東山通五条坂上ル)⇒(1936年:伏見区深草鈴塚町へ移転)⇒《新制》京都市立伏見工業高等学校 ⇒ 京都市立伏見高等学校 ⇒(1963年:普通課程を京都市立塔南高等学校へ移管)京都市立伏見工業高等学校 ⇒(2016年:統合)京都市立京都工学院高等学校
- 京都市立塔南高等学校(1963年:京都市立洛陽高等学校、京都市立伏見高等学校から普通課程を移管し開校。下京区唐橋大宮尻町)⇒(2023年:南区吉祥院観音堂町へ移転)京都市立開建高等学校
- 京都府商業学校(1886年)⇒ 京都市立第一商業学校(1910年)⇒《新制》京都市立西京商業高等学校 ⇒ 京都市立西京高等学校 ⇒ 京都市立西京商業高等学校(1963年)⇒ 京都市立西京高等学校 ⇒ 京都市立西京高等学校・附属中学校(2004年)
- 京都市立第二商業学校(1910年)⇒《新制》京都市立西陣商業高等学校 ⇒(1948年:閉校)
- 伏見実習学校(1915年:私立)⇒ 伏見商業学校(1923年)⇒(1934年:京都市へ移管)京都市立第三商業学校 ⇒《新制》京都市立伏見商業高等学校 ⇒(1948年:閉校)
- 京都府立簡易商業学校(1900年:京都府商業学校内)⇒ 京都市立簡易商業学校 ⇒ 京都市立商業実修学校 ⇒(1936年:右京区西院馬場町へ移転)京都市立四条商業学校 ⇒(1948年:閉校)
- 京都府立向陽工業学校(1943年)⇒ 京都府立向陽農業学校(1946年)⇒《新制・統合》京都府立桂高等学校
- 京都市立専修商業学校(1935年)⇒《新制》京都市立西京商業高等学校 定時制 ⇒ 京都市立西京高等学校 定時制 ⇒(2023年:閉校)
- 京都市立松原商務学校(1937年:夜間)
山城
編集- 相楽郡立農学校(1901年)⇒ 相楽郡立農林学校(1902年)⇒(1922年:京都府に移管)京都府立木津農学校 ⇒《新制》京都府立木津農業高等学校 ⇒ 京都府立木津高等学校(1948年)
丹波
編集- 京都府農牧学校(1876年)⇒ 船井郡立実業学校(1908年)⇒ 京都府立須知農学校(1923年)⇒《新制》京都府立須知農業高等学校 ⇒ 京都府立須知高等学校(1948年)
- 京都府蚕糸業組合立高等養蚕伝習所(1893年)⇒ 京都府蚕糸業組合立京都蚕業講習所(1897年)⇒ 京都府蚕糸業組合立城丹蚕業講習所(1898年)⇒ 京都府立城丹蚕業講習所(1918年)⇒ 京都府立城丹農事講習所(1919年)⇒ 京都府立城丹蚕業学校(1924年)⇒ 京都府立城丹実業学校(1942年)⇒《新制》京都府立城丹農業高等学校 ⇒(1949年:統合)京都府立綾部高等学校
- 南桑田郡立実業学校(1919年)⇒(1923年:京都府に移管)京都府立亀岡農学校 ⇒《新制》京都府立亀岡農業高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立亀岡高等学校 ⇒(1983年:農業課程が分離独立)京都府立農芸高等学校
- 京都府立北桑田農林学校(1944年)⇒《新制》京都府立北桑田高等学校
- 福知山市立農学校(1944年)⇒《新制・統合》京都府立福知山高等学校 ⇒(1963年:農業科募集停止)
丹後
編集- 京都府水産講習所(1898年:与謝郡宮津町)⇒ 京都府立宮津水産学校(1942年)⇒《新制》京都府立水産高等学校 ⇒ 京都府立海洋高等学校(1898年)
- 熊野郡立農林学校(1902年)⇒ 京都府立久美浜農学校(1923年)⇒《新制》京都府立久美浜高等学校 ⇒(2020年:統合)京都府立丹後緑風高等学校
- 加佐郡立河守蚕業学校(1908年)⇒(1923年:京都府に移管)京都府立河守蚕業学校 ⇒ 京都府立河守農蚕業学校(1940年)⇒ 京都府立河守農業学校(1943年)⇒《新制》京都府立河守農業高等学校 ⇒ 京都府立河守高等学校 ⇒ 京都府立大江高等学校(1959年)
- 宮津町城東村学校組合立宮津実業学校(1919年)⇒ 京都府宮津実業学校 ⇒ 京都府宮津商業学校(1921年)⇒《新制・統合》京都府立宮津高等学校 ⇒(2020年:統合)京都府立宮津天橋高等学校
- 京都府立工業学校(1922年)⇒ 京都府立峰山工業学校 ⇒《新制》京都府立峰山工業高等学校 ⇒(1948年:統合)京都府立峰山高等学校
私立
編集- 洛陽高等技芸女学院 ⇒ 洛陽技芸高等学校 ⇒《新制》洛陽技芸女子高等学校 ⇒ 洛陽女子高等学校 ⇒ 洛陽総合高等学校
- 京都手芸女学校 ⇒ 京都高等手芸女学校 ⇒《新制》京都手芸高等学校・女子中学校 ⇒ 京都橘中学校・高等学校
- 福知山淑徳技芸学舎 ⇒《新制》福知山淑徳高等学校
- 舞鶴裁縫女学校 ⇒《新制》日星高等学校
- 宮津裁縫伝習所 ⇒《新制》暁星高等学校 ⇒ 暁星女子高等学校 ⇒ 京都暁星高等学校
- 京都高等技芸女学校(1934年)[注釈 5]
- 新舞鶴女子高等技芸学校(1924年)[注釈 6]
- 京都工学校 [注釈 7]
- 生産学園 [注釈 8]
- 福知山商業学校 ⇒ 《新制》福知山商業高等学校 ⇒ 福知山成美高等学校
- 京都商業学校 ⇒ 《新制》京都学園中学校・高等学校 ⇒ 京都先端科学大学付属中学校・高等学校
- 立命館商業学校(1929年) ⇒ (閉校)
夜学
編集- 京都府立夜間中学 ⇒ 京都府立二中夜間中学 ⇒ 京都府立上鳥羽中学校 ⇒ 京都府立鳥羽高等学校 ⇒ 京都府立朱雀高等学校定時制 ⇒ 京都府立鳥羽高等学校定時制
- 京都府立一中夜間中学 ⇒ 京都府立賀茂中学校 ⇒ 京都府立賀茂高等学校定時制 ⇒ 京都府立鴨沂高等学校定時制
- 京都府立三中夜間中学 ⇒ 京都府立雙陵中学校 ⇒ 京都府立雙陵高等学校定時制 ⇒ 京都府立山城高等学校定時制
- 立命館夜間中学 ⇒ 立命館第四中学 ⇒ 立命館第四中学校 ⇒ 立命館夜間高等学校
- 京都府立桃中夜間中学 ⇒ 京都府立伏見中学校 ⇒ 京都府立柏原高等学校定時制 ⇒ 京都府立桃山高等学校定時制
- 成安高等継日女学校 [注釈 9]
- 京都工科学校 [注釈 10]
その他
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 京都府高等女学校(1887年)成立までは重久[8]に拠った。和崎光太郎の示す「京都市内の高等女学校の変遷」によれば、京都府高等女学校成立までの名称変更は「新英学級及女紅場(1872年)⇒ 京都女学校及女紅場(1876年)⇒ 京都府女学校(1882年)⇒ 京都府高等女学校(1887年)」[9]。
- ^ 和崎光太郎の示す「京都市内の高等女学校の変遷」によれば、学制改革後は「京都師範学校女子部」に統合とある[10]。
- ^ 和崎光太郎の示す「京都市内の高等女学校の変遷」によれば、京都ホーム(1876年)⇒ 同志社分校女紅場(1877年) ⇒ 同志社女学校 (1877年) ⇒ 同志社学院女学校 (1888年) ⇒ 同志社女学校 (1889年)⇒同志社高等女学部(1930年)⇒同志社高等女学校(1945年)。
- ^ 和崎光太郎の示す「京都市内の高等女学校の変遷」によれば、「文中女学校」が1907年創立の「京都高等女学校」を1910年に併合し、名称は「京都高等女学校」となった[14]。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.232。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.232。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.237によれば京都市二条御前に所在。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.237によれば京都市松ヶ崎に所在。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.231によれば夜間学校。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.237によれば夜間学校。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.220によれば、宇治町興聖寺に所在。5年制の宗教系学校。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.220によれば、京都市左京区北白川に所在。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.221。
- ^ 『中等教育諸学校職員録 昭和12年版』p.221によれば、舞鶴町に所在。2年制。
出典
編集- ^ a b c d e 京都府立総合資料館 編「大7(1918)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、156頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ 『官報』1885年2月10日学事欄「○中学開校(京都府報告)」、及び宮津市ホームページ「みやづ歴史紀行 第111回 学校の歴史(3) 中学校の変遷」。
- ^ 『官報』1885年2月24日学事欄「○中学校新築落成(京都府報告)」。
- ^ 『広報たなべ』1985年6月1日号7面「田辺の近代史寸景 2 府立三山木中学校のこと」。
- ^ “メインページ”. 一般財団法人京都高等学校. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “京都にあった、聖峯中学校(旧制)について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “歴史と環境”. 京都府立鴨沂高等学校. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b 重久篤太郎 1973, pp. 101–104.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 和崎光太郎 2015, pp. 16–17.
- ^ a b c d e 和崎光太郎 2015, p. 16.
- ^ “同志社の歴史”. 学校法人同志社. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “歴史概要”. 同志社女子大学. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “学校の沿革”. 平安女学院中学校・高等学校. 2021年4月7日閲覧。
- ^ 和崎光太郎 2015, p. 17.
参考文献
編集- 和崎光太郎「京都における高等女学校のあゆみ」『京都市学校歴史博物館研究紀要』第4巻、京都市学校歴史博物館、2015年、2021年3月27日閲覧。
- 重久篤太郎「京都の英学一京都府女紅場・女学校(1872~1882)」『英学史研究』第5号、日本英学史学会、1972年、2021年4月6日閲覧。