日野資矩
江戸時代中期から後期の公卿・歌人。従一位・権大納言。日野家37代
日野 資矩(ひの すけのり)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿・歌人。藤原北家庶流日野家37代・日野資枝の子。官位は従一位・権大納言。日野家37代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦6年8月22日(1756年9月16日) |
死没 | 文政13年7月9日(1830年8月26日) |
官位 | 従一位、権大納言 |
主君 | 後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 藤原北家真夏流日野家 |
父母 | 父:日野資枝、母:広橋勝胤の娘 |
兄弟 | 資矩、北小路祥光、錦小路頼尚室 |
妻 |
正室:柳原光綱の娘 継室:壬生基貫の娘 |
子 |
資愛、大宮良季、永光、資雄、今出川実種養女、鶴子、勘解由小路資善室 養子:寂照院 |
経歴
編集父・資枝と同じく和歌に優れ、『先考御詠』を編した。金沢千秋の著した『川めぐり日記』の批評を行った。また、歌道をして天皇家始め皇族に重用され宮中で催される歌会に参加する。特に後桜町天皇に和歌の指導を受け、光格天皇とも深い親交があった。この時代を代表する堂上歌人である。