日野 資枝(ひの すけき)は、江戸時代中期から後期にかけての公家歌人藤原北家日野家庶流烏丸家内大臣烏丸光栄の末子。日野家36代当主。

 
日野資枝
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文2年11月1日1737年11月22日
死没 享和元年10月10日1801年11月15日
官位 従一位権大納言
主君 桃園天皇後桜町天皇
氏族 藤原北家日野家庶流烏丸家→日野家
父母 父:烏丸光栄、養父:日野資時
兄弟 烏丸尹光日野資総勘解由小路資望裏松光世資枝烏丸光胤室、
松平定賢継室
広橋勝胤の娘
資矩北小路祥光錦小路頼尚
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経歴

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日野資時の養子となり跡を継ぐ。後桜町天皇に子・資矩と共に和歌をもって仕えた。

優れた歌人であり、同族の藤原貞幹番頭土肥経平塙保己一らに和歌を伝授した。『和歌秘説』を著している。また、画才にも優れており、第一の文化人として著名である。『日野資枝百首』なる日野資枝の詠んだ和歌100選の本がある。本居宣長に金銭援助もしたことがある。

なお、徳富蘇峰の『近世日本国民史』(宝暦明和篇)では、宝暦事件において、桃園天皇の近習でありながら、天皇や竹内式部らの動向を摂関家に密告した人物として挙げられている[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ 林大樹 2021, p. 142, 169.

参考文献

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  • 林大樹「近世の近習小番について」『天皇近臣と近世の朝廷』吉川弘文館、2021年。 (初出:『論集きんせい』第40号、2018年)