1956日米野球は、「日米野球」の1956年大会である。

試合結果

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試合 日程 先攻 スコア 後攻 試合開始 試合時間 観客動員 試合詳細 試合会場
GAME1 10月19日 ブルックリン・ドジャース 4 - 5  読売ジャイアンツ 25,000人 後楽園球場
GAME2 10月20日 ブルックリン・ドジャース 7 - 1  セントラル・リーグ 35,000人
GAME3 10月21日 ブルックリン・ドジャース 1 - 6  全日本 45,000人
GAME4 10月23日 ブルックリン・ドジャース 1 - 0  読売ジャイアンツ 35,000人 札幌市円山球場
GAME5 10月24日 ブルックリン・ドジャース 8 - 0  全関東 28,000人 宮城球場
GAME6 10月26日 ブルックリン・ドジャース 3 - 3  全関東 22,000人 茨城県営堀原公園野球場
GAME7 10月27日 ブルックリン・ドジャース 12 - 1  全関東 17,000人 山梨県営甲府球場 
GAME8 10月28日    ブルックリン・ドジャース 6 - 3  全日本 28,000人 栃木県総合運動公園野球場
GAME9 10月31日   ブルックリン・ドジャース 4 - 0  全日本 20,000人 下関市営球場
GAME10 11月1日  ブルックリン・ドジャース 10 - 6  全関西 13,250人 広島県営総合球場
GAME11 11月2日  ブルックリン・ドジャース 14 - 0  南海・巨人連合 28,000人 大阪球場
GAME12 11月3日   ブルックリン・ドジャース 14 - 7  全日本 45,000人 阪神甲子園球場
GAME13 11月4日  ブルックリン・ドジャース 2 - 3  全日本 40,000人 阪急西宮球場
GAME14 11月7日    ブルックリン・ドジャース 3 - 2  全日本 25,000人 中日球場
GAME15  11月8日  ブルックリン・ドジャース 2 - 3  全日本 20,000人 静岡県営草薙野球場 
GAME16 11月9日  ブルックリン・ドジャース 5 - 4  読売ジャイアンツ 23,000人 後楽園球場
GAME17 11月10日 ブルックリン・ドジャース 8 - 2  全日本 35,000人
GAME18 11月12日    ブルックリン・ドジャース 10 - 2  全日本 30,000人
GAME19 11月13日   ブルックリン・ドジャース 1 - 3  パシフィック・リーグ 8,000人 平和台野球場

第1戦

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10月19日 第1戦 後楽園球場 25,000人

ドジャース 0 0 0 4 0 0 0 0 0 4
巨人 2 0 1 0 0 0 0 2 X 5
(ド) D.ドライスデール、●D.ベッセント(1敗) - R.キャンパネラ
(巨) 堀内、○大友(1勝) - 藤尾
本塁打
(ド) ホッジス1号(堀内)、ロビンソン1号(堀内)
(巨) 川上哲1号(ドライスデール)2号(ベッセント)、宮本1号(ドライスデール)、坂崎1号(ベッセント)

曇りの日にの後楽園には2万5000人のファンが詰め掛け、始球式正力松太郎が務め、駐日米国大使ジョン・M・アリソンも出席した[1]。巨人は川上哲の2本塁打を含む4本塁打でドジャースを驚かせ、4回からリリーフした大友が好投して初戦を白星で飾った[1]。堀内はホッジスとロビンソンに場外本塁打を打たれており、ホッジスが左翼場外へ打った球は白山通りまで飛んだとも言われ、事実だとすれば200mは飛んだことになるが、打たれた堀内は「あの一打を打たれたことは名誉」と語っていた[2]。この第1戦では長身から投げ下ろすドロップカーブで三振を取りまくり、「ドジャースの戦法」を書いたアル・キャンパニスに「ウチに来ないか」と誘われたほどであった[3]1957年には水原円裕監督に連れられて藤尾と共にドジャースのキャンプに参加し[1]、巨人軍ベロビーチキャンプ第1号選手と呼ばれた[4]

第2戦

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10月20日 第2戦 後楽園球場 35,000人

ドジャース 4 0 2 0 0 1 0 0 0 7
全セ 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
(ド) C.ラバイン(1勝)- R.キャンパネラ、H.オルソン
(セ) 金田(1敗)、秋山大崎宮地別所 - 藤尾、土井河合
本塁打
(ド) キャンパネラ1号(秋山)2号(秋山)

ドジャースは初回にキャンパネラの満塁本塁打で先制し、3回も2号2ラン本塁打で6-0にし、その後も6回に1点を追加して快勝した[1]。先発のラバインが勝利を収め、自らも4安打を放った[1]。全セは9回裏に宮本の打点で得点するも、この1点だけに終わった[1]。全セの先発金田は1回で降板し、大洋のルーキー秋山はキャンパネラに2本塁打を浴びている[1]

第3戦

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10月21日 第3戦 後楽園球場 45,000人

ドジャース 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1
全日本 4 0 0 0 2 0 0 0 X 6
(ド) D.ニューカム(1敗)、E.ローバックF.キップ - R.キャンパネラ
(日) 島原、大崎、○三浦(1勝)- 藤尾
本塁打
(日) 豊田1号(ニューカム)、中西1号(ローバック)

全日本がドジャースのエースであるニューカムから初回に4点を奪い、同年の日本シリーズMVPであった豊田、怪童中西が本塁打を放った[1]。全日本が訪れたMLBチーム相手に5勝目を挙げた[1]。試合前の本塁打競争では、ドジャースのスナイダー、ホッジス、キャンパネラが全日本の中西、山内和弘、宮本を19-15で下し、ホッジスが8本塁打でリードした[1]

第4戦

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10月23日 第4戦 札幌市円山球場 35,000人

ドジャース 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(ド) C.アースキン(1勝)- R.キャンパネラ
(巨) 堀内、●別所(1敗) - 藤尾
本塁打
(ド) スナイダー1号(別所)

ドジャースはスナイダーが9回に放ったソロ本塁打で接戦を制し、先発のアースキンが巨人打線を僅か3安打に抑え、走者が二塁に到達することを許さなかった[1]。スナイダーはドジャースの8安打のうち3安打を放った[1]。巨人は7回に先発の堀内に代わって出場したセ・リーグMVP別所毅彦は、スナイダーの本塁打で敗れた[1]。ゲームは1時間36分で終了したが、この日は田中敏文北海道知事が始球式を行い、そのボールは式典の前にヘリコプターで球場に到着した[1]

第5戦

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10月24日 第5戦 県営宮城球場 28,000人

ドジャース 0 0 4 0 1 3 0 0 0 8
全関東 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(ド) ○F.キップ(1勝)、R.ブランカ - R.キャンパネラ、D.ハウエル
(東) ●宮地(1敗)、大友、荒巻、秋山、金田 - 土井、藤尾、佐竹

ドジャースは3回に4点を記録し、最初の7イニングを投げた先発のキップが勝利投手になり、リリーフのブランカが最後の2イニングを締めた[1]。ドジャースは翌25日に休みをとる予定であったが、水戸で再びオール関東と対戦した[1]

第6戦

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10月26日 第6戦 茨城県営堀原公園野球場 22,000人

ドジャース 0 0 0 2 0 1 0 0 0 3
全関東 0 0 0 0 0 0 0 3 0 3
(ド) D.ドライスデール、D.ベッセント、E.ローバック - R.キャンパネラ、H.オルソン、D.ハウエル
(東) 秋山、荒巻、三浦、別所 - 土井、藤尾
本塁打
(ド) スナイダー2号(秋山)

ドジャースはオール関東と引き分け、翌27日の試合のために甲府行きの電車に乗るスケジュールを守らなければならなかった[1]。ドジャースはスナイダーの本塁打などで4回に2点リードし、6回に1点を追加しましたが、8回裏に3-0のリードを守れなかった[1]

第7戦

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10月27日 第7戦 山梨県営甲府球場 17,000人

ドジャース 0 2 5 0 0 0 2 0 3 12
全関東 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
(ド) R.クレイグ(1勝)、E.ローバック、F.キップ - R.キャンパネラ、H.オルソン
(東) 大石(1敗)、金田、大友、宮地 - 土井、佐竹、藤尾
本塁打
(ド) ジェンタイル1号(金田)2号(大友)、デミター1号(金田)、シモリ1号(宮地)

ドジャースは16安打の猛攻で打線がスランプから脱出し、主力に混じってメンバー入りした2Aの一塁手ジェンタイルは2本塁打と5打点の大活躍[1]。外野手のデミターとシモリもそれぞれ本塁打を放ち、ロビンソンは先発大石の攻略に成功した[1]

第8戦

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10月28日 第8戦 栃木県総合運動公園野球場 28,000人

ドジャース 3 0 1 0 0 1 0 0 2 7
全日本 2 0 0 2 0 0 0 0 0 4
(ド) ○C.ラバイン(2勝)- R.キャンパネラ
(日) ●島原(1敗)、稲尾、大崎、三浦 - 藤尾
本塁打
(ド) スナイダー3号(島原)、ジェンタイル3号(稲尾)

ドジャース打線はジェンタイルの5打数5安打を含む15安打を放ち、全日本を6-3で破った[1]。最初のイニングでは、ドジャースはロビンソン、キャンパネラ、スナイダーの本塁打で3回も得点した[1]。全日本は、島原と稲尾を含む4人の投手を使ってドジャース打線を抑えようとしたが、失敗に終わった[1]

第9戦

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10月31日 第9戦 下関市営球場 20,000人

ドジャース 1 0 0 0 1 1 0 0 1 4
全日本 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(ド) ○F.キップ(2勝) - R.キャンパネラ、H.オルソン
(日) 梶本(1敗)、稲尾、秋山、荒巻 - 土井、日比野、藤尾
本塁打
(ド) デミター2号(秋山)、ジェンタイル4号(稲尾)

ジェンタイルが4本目の本塁打で、デミターも5回に秋山から2本目の本塁打を放った[1]。1回2死にはシモリのバットからのラインドライブが、日本の先発梶本のに当たった[1]

第10戦

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11月1日 第10戦 広島県営総合球場 13,250人

ドジャース 0 0 0 1 0 3 4 0 2 10
全関西 1 0 0 3 0 0 0 0 2 6
(ド) D.ドライスデール、○E.ローバック(1勝)- R.キャンパネラ、D.ハウエル
(西) 長谷川、大崎、●島原(2敗)、武智 - 門前野村山下
本塁打
(ド) スナイダー1号(別所)ジェンタイル5号(島原)、スナイダー4号(大崎)、キャンパネラ3号(大崎)
(西) 河野1号(ローバック)、岡本1号(ドライスデール)

スナイダー、ジェンタイル、キャンパネラが本塁打を放ち、4-4で迎えたドジャースは7回に逆転に成功[1]。ロビンソンが3回に審判の呼びかけに抗議している[1]

第11戦

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11月2日 第11戦 大阪球場 28,000人

ドジャース 1 5 1 0 0 3 2 2 0 14
南海・巨人連合 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(ド) ○R.クレイグ(2勝)、R.ブランカ - R.キャンパネラ、H.オルソン
(連) ●堀内(1敗)、野母、大友、田沢 - 藤尾、野村
本塁打
(ド) ジェンタイル6号(堀内)7号(田沢)、スナイダー5号(野母)、デミター3号(大友)、ホッジス2号(堀内)、ギリアム1号(大友)、リース1号(堀内)、ジャクソン1号(大友)

ドジャースは2回だけでジェンタイル、ホッジス、リース、スナイダーの本塁打を含む5点を奪った[1]。最初の3人の本塁打は先発の堀内から、スナイダーは野母から放った[1]。ギリアム、ジャクソン、デメターも本塁打を放ち、8本塁打14得点の完封勝利[1]。先発のロジャー・クレイグがブランカのリリーフに助けられながらも勝利を手にし、7回に代打としてエースのニューカムが登場した[1]

第12戦

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11月3日 第12戦 阪神甲子園球場 45,000人

ドジャース 2 1 0 2 0 1 1 7 0 14
全日本 2 0 0 0 2 0 3 0 0 7
(ド) D.ベッセント、E.ローバック、C.ラバイン、○R.クレイグ(3勝) - R.キャンパネラ、H.オルソン
(日) 米田、梶本、稲尾、●大崎(1敗)、金田 - 山下、藤尾
本塁打
(ド) スナイダー2号(秋山)、デミター4号(稲尾)、オルソン1号(金田)、ギリアム2号(梶本隆)、ホッジス3号(稲尾)
(日) 杉山光1号(ローバック)

ドジャースは7-3のリードを築くも、7イニング後に全日本が7-7で引き分けた[1]。審判が暗闇と軽い霧雨のためにゲームを止めようとしたが、ゲームは殆ど6回を過ぎておらず、日本とドジャースの関係者が状況を話し合った末に20分遅れで試合が再開された[1]。再開後はドジャースが8回に3安打、2敬遠、オルソンによる3ラン本塁打で一気に7点追加と打線が爆発し、劇的な逆転に成功[1]

第13戦

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11月4日 第13戦 阪急西宮球場 40,000人

ドジャース 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2
全日本 0 0 0 0 1 1 0 0 3
(ド) F.キップ、●C.ラバイン(2勝1敗)- R.キャンパネラ
(日) 別所、○金田(1勝1敗)、梶本 - 藤尾、山下
本塁打
(ド) デミター5号(別所)、スナイダー6号(金田)

全日本が先発のキップとリリーフのラバインから合わせて11安打を集め、ドジャースの連勝を6でストップさせた[1]

第14戦

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11月7日 第14戦 中日球場 25,000人

ドジャース 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3
全日本 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2
(ド) ○R.クレイグ(4勝) - R.キャンパネラ
(連) 大矢根(1敗)、稲尾、梶本 - 河合、藤尾、土井

第15戦

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11月8日 第15戦 静岡県営草薙野球場 20,000人

ドジャース 0 0 0 0 2 0 0 0 0 2
全日本 2 0 0 0 0 0 0 0 3
(ド) ●F.キップ(2勝1敗)、D.ベッセント - H.オルソン、R.キャンパネラ
(日) 空谷、金田、○梶本(1勝1敗) - 藤尾、河合
本塁打
(日) 杉山悟1号(キップ)

第16戦

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11月9日 第16戦 後楽園球場 23,000人

ドジャース 0 1 0 3 0 0 0 0 0 0 1 5
巨人 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 0 4
(ド) R.ブランカ、○E.ローバック(2勝) - R.キャンパネラ
(巨) 大友、堀内、●別所(2敗) - 藤尾
本塁打
(ド) ジェンタイル8号(大友)、オルソン2号(別所)
(巨) 藤尾1号(ブランカ)

第17戦

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11月10日 第17戦 後楽園球場 35,000人

ドジャース 4 1 1 0 1 0 1 0 0 8
全日本 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2
(ド) ○C.アースキン(2勝)、D.ベッセント - H.オルソン
(日) ●大矢根(2敗)、三浦、梶本、稲尾 - 藤尾、野村
本塁打
(ド) ホッジス4号(大矢根)5号(三浦)、ジマー1号(梶本隆)

第18戦

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11月12日 第18戦 後楽園球場 30,000人

ドジャース 0 2 0 3 1 2 2 0 0 10
全日本 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2
(ド) ○R.クレイグ(5勝)、C.ラバイン - R.キャンパネラ、H.オルソン
(日) ●金田(1勝2敗)、別所、大友、堀内、秋山 - 藤尾、野村
本塁打
(ド) ホッジス6号(別所)、キャンパネラ4号(別所)、ロビンソン2号(金田)、リース2号(大友)
(日) 中西2号(ラバイン)

第19戦

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11月13日 第19戦 平和台球場 8,000人

ドジャース 0 0 0 1 0 0 0 0 2 3
全パ 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1
(ド) ○F.キップ(3勝1敗)、E.ローバック - R.キャンパネラ、H.オルソン
(日) ●稲尾(1敗)、三浦 - 野村

ロビンソンは帰国後にニューヨーク・ジャイアンツへのトレードを拒否して現役を引退したため、この日米野球が最後のプレーとなった。

脚注

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