新高恵子
日本の元女優
新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たまこ)、1934年4月18日 - )は、日本の元女優。
にいたか けいこ 新高 恵子 | |
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本名 | 工藤 琳子 (くどう たまこ) |
別名義 | 新高 けい子 |
生年月日 | 1934年4月18日(90歳) |
出生地 | 青森県青森市 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・舞台 |
主な作品 | |
映画 ・『書を捨てよ町へ出よう』(1971年) ・『田園に死す』(1974年) ・『草迷宮』(1978年) ・『さらば箱舟』(1982年) |
来歴
編集青森県青森市出身。名門・青森高校時代は、寺山修司の一年上級生だったが、お互いに面識はなかったという。
やがて彼女は上京、新藤孝衛監督にすすめられ、当初はピンク映画の人気女優として活躍した。しかし、やがて同じセットで2本の映画を同時に撮影するというような現場に遭遇し、虚しさを感じるようになった。同郷の寺山修司と会った際には彼は、あの映画の演技はこうだったよね、と詳細に新高を演技について語ったため、彼女は感動したという。彼女は、寺山の主宰する劇団、「天井桟敷」に参加し看板女優になっていった[1]。寺山は演劇の国内、海外での公演だけでなく、『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)などの映画も撮影し、彼女も出演した[2]
山田勝仁著「寺山修司に愛された女優 演劇実験室◎天井桟敷の名華・新高けい子伝」(2010年、河出書房新社刊)が唯一の評伝[3]。
主な出演
編集映画
編集- 雪の涯て(1965年)
- 肉体の報酬(1965年)
- 歪んだ関係(1965年)
- 腐肉の喘ぎ(1965年)
- 四つの乳房(1965年)
- 悪の卵(1965年)
- 蜜のおとし穴(1965年)
- 背徳(1965年)
- 第三の情事(1965年)
- 情事に賭けろ(1965年)
- あばかれた欲情(1965年)
- 女・三百六十五夜(1966年)
- もだえの夜(1966年)
- くずれる女(1966年)
- 色ざんまい(1966年)
- のたうち(1966年)
- 肉体の会話(1966年)
- 新・妾 (1966年)
- 女高生地帯(1966年)
- 女高生のふるえ(1966年)
- 新拷問刑罰史 拷問(1966年)
- 絶品の女(1966年)
- 蛇淫の肌(1966年)
- 愛欲の果て(1966年)
- あなたの留守に?(1966年)
- 色なさけ(1966年)
- 乳房の週末(1966年)
- 炎の女(1966年)
- 肌に泣く女(1966年)
- 柔肌の掟(1966年)
- 禁じられた乳房(1966年)
- 肉色(1966年)
- 処女? 戦慄(1966年)
- 愛情開眼(1967年)
- 縄と乳房(1967年)
- トマトケチャップ皇帝(1970年)
- 書を捨てよ町へ出よう(1971年)
- 出所祝い(1971年)
- 田園に死す(1974年)
- 蝶服記(1974年)
- 迷宮譚(1975年)
- 審判(1975年)
- 疱瘡譚(1975年)
- 消ゴム(1977年)
- マルドロールの歌(1977年)
- 影の映画 二頭女(1977年)
- ボクサー(1977年)
- 書見機(1977年)
- 草迷宮(1978年)
- FACE -風の日の紙のように私の上に貼りついてしまった (1979年)
- 上海異人娼館 チャイナ・ドール(1981年)
- さらば箱舟(1982年)
脚注
編集- ^ 他に蘭妖子も看板女優だった。劇団には、カルメンマキや松田英子も在籍したことがある
- ^ 書を捨てよ、町に出よう
- ^ 『寺山修司に愛された女優 :山田 勝仁|河出書房新社』 。