才谷ヶ池
概要
編集ほぼ自然のままの姿が残されている自然池沼である。南方に善定寺池が、北方にオハナ池がそれぞれ所在している。才谷ヶ池は北西方より近くに接近できる。東方を流下している稲荷木落排水路の東側には古堤と呼ばれている旧堤防が残っている[2]。これはかつての利根川旧流路の一つである浅間川[3][4]の名残である。
才谷ヶ池は1757年(宝暦7年)に浅間川が決壊した際[5]に形成された。所在地はこの浅間川の左岸(西側)寄りの堤防の外側に該当する。浅間川はかつての埼玉郡(後の北埼玉郡)と葛飾郡(後の北葛飾郡)の境界を成していた河川であった。このため浅間川が締め切られた後も流路跡が郡境を成していた。池の水は主に雨水・地下水などにより保水されているが、地下の水脈とは通じていない。また、水深は浅く、水温は高い[5]。このため、レンコンなどが栽培されていた。
浅間川の堤防の外側に形作られたこともあり、外池(そといけ)とも称する。また、お谷が池(おたにがいけ)とも呼ばれている[5]。お谷ヶ池という名称は樋遣川村の白倉より琴寄村の代官所にて女中奉公に従事していた「お谷」という美しい娘の説話に由来する[6]。
所在地
編集関連項目・周辺
編集脚注・参考文献
編集- ^ 『栗橋町全図』 栗橋町発行 東武計画株式会社調製(平成20年11月調製)
- ^ 「栗橋駅-東鷲宮駅コース」 久喜市観光ウォーキングマップ (PDF) - 久喜市ホームページ
- ^ 『近世初頭の河川改修と浅間山噴火の影響』 (PDF) - Kubotaホームページ
- ^ 「昔の流れ」 幸手の環境を学ぼう - 幸手市ホームページ
- ^ a b c 『大利根町史 民俗編』 (1999) 154頁
- ^ 『大利根町史 民俗編』 (1999) 135頁
- 『大利根町史 民俗編』「第一章 水と暮らし 第六節 水にかかわる信仰と生活」大利根町教育委員会編集 平成11年3月16日発行
外部リンク
編集座標: 北緯36度7分48.5秒 東経139度40分51.4秒 / 北緯36.130139度 東経139.680944度