戦艦シュペー号の最後
『戦艦シュペー号の最後』(せんかんシュペーごうのさいご、The Battle of the River Plate)は1956年のイギリスの映画。
戦艦シュペー号の最後 | |
---|---|
The Battle of the River Plate | |
監督 |
マイケル・パウエル エメリック・プレスバーガー |
脚本 |
マイケル・パウエル エメリック・プレスバーガー |
製作 |
マイケル・パウエル エメリック・プレスバーガー |
ナレーター | デビッド・ファラー |
出演者 |
ジョン・グレッグソン アンソニー・クエイル ピーター・フィンチ |
音楽 | ブライアン・イースデイル |
撮影 | クリストファー・チャリス |
編集 | レジナルド・ミルズ |
製作会社 | Rank Film Distributors Ltd. |
配給 | BCFC=コロムビア |
公開 |
1956年10月29日 1957年1月16日 |
上映時間 | 119分 |
製作国 | イギリス |
言語 | 英語 |
製作費 | £274,071[1] |
第二次世界大戦の大西洋の戦い序盤で生起したラプラタ沖海戦で、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) の軍艦(装甲艦)「アドミラル・グラフ・シュぺー」(DKM Admiral Graf Spee) が自沈した[2]。この海戦を、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのコンビ「パウエル=プレスバーガー」による共同製作・監督・脚本で映画化した作品[3]。出演はピーター・フィンチなど。
撮影に本物の軍艦を使用し、「アキリーズ」は実際にラプラタ沖海戦に参加してシュペー号と砲火を交えた艦艇であり、「カンバーランド」もモンテビデオ沖に増援として派遣され、戦艦シュペー号を自沈に追い込んだ立役者である。戦艦シュペー号(満載排水量約1万6000トン)はアメリカ海軍のデモイン級重巡洋艦「セーラム」(満載排水量約2万1000トン)が演じた。
ストーリー
編集ヴェルサイユ条約による軍備制限下、ヴァイマル共和政下で建造されたドイッチュラント級装甲艦(通称ポケット戦艦)[注釈 1]の一隻グラフ・シュペー号は、アドルフ・ヒトラーの政権掌握によりナチス・ドイツの国防軍が運用することになった[5]。第二次世界大戦勃発後の1939年11月15日、シュペー号はポルトガル領東アフリカ沖で英貨物船アフリカ・シェル号を撃沈し[6]、船長のダヴらをとらえる。 捕虜たちは、シュペー号の艦長ハンス・ラングスドルフの意向により丁寧に扱われ、のちに補給船「アルトマルク号」に移送された。その後、シュペー号は英国の商船を撃沈するたびに捕虜を載せていき、ついには50人以上の捕虜が乗船している状態となった。
12月12日、シュペー号は南アメリカ大陸ウルグアイのラプラタ川 (Río de la Plata) 沖にて、ハーウッド提督が率いるイギリス海軍のG部隊(軽巡「エイジャックス」、軽巡「アキリーズ」、重巡「エクセター」)に捕捉された[7]。砲撃戦で損傷したシュペー号はウルグアイのモンテビデオに逃げ込み、乗っていたすべての捕虜を解放して修理をはじめた。 ハーグ条約の国際法では24時間以上の在泊は認められないため、ドイツ大使ラングマンと連合国側の大使の駆け引きの末、72時間の在泊の延長が認められた。 そして12月17日夕方、シュペー号の大半の乗組員を下船させる形で出港する。そして、ラングスドルフ艦長は、補給船タコマ号に乗船した後、シュペー号を自爆させる。
キャスト
編集役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |
---|---|---|---|
東京12ch版 | フジテレビ版 | ||
ハンス・ラングスドルフ(シュペー艦長) | ピーター・フィンチ | 大木民夫 | 中村正 |
パトリック・ダヴ船長 | バーナード・リー | 吉沢久嘉 | |
ヘンリー・ハーウッド提督 | アンソニー・クエイル | 浦野光 | 臼井正明 |
チャールズ・ウッドハウス(エイジャックス艦長) | イアン・ハンター | 羽佐間道夫 | 上田敏也 |
フレデリック・ベル(エクセター艦長) | ジョン・グレッグソン | 大宮悌二 | 宮田光 |
エドワード・パリー(アキリーズ艦長) | ジャック・グウィリム | ||
マイク・フォウラー | ライオネル・ムートン | 羽佐間道夫 | |
マノロ | クリストファー・リー | 嶋俊介 | |
オイゲン・ミリントン・ドレイク | アンソニー・ブシェル | 北村弘一 | |
マコール武官 | マイケル・グッドリーフ | 村越伊知郎 | |
グアニ外務大臣 | ピーター・エリング | 宮川洋一 | |
レイ・マーティン | ウィリアム・スクワイア | 緑川稔 | |
オットー・ラングマン大使 | ジョン・チャンドス | 藤本譲 | |
デムーラン大使 | ダグラス・ウィルマー | 石井敏郎 | |
不明 その他 |
仲村秀生 納谷六朗 木原正二郎 西川幾雄 青野武 鈴木れい子 宮内幸平 加藤正之 増岡弘 石森達幸 加藤修 宮下勝 | ||
日本語スタッフ | |||
演出 | 小林守夫 | ||
翻訳 | 飯嶋永昭 | ||
効果 | |||
調整 | |||
制作 | 東北新社 | ||
解説 | 高島忠夫 | ||
初回放送 | 1967年11月2日 | 1973年11月30日 『ゴールデン洋画劇場』 |
※ハピネットから2023年5月10日に発売の「吹替シネマ2023」第2弾『戦艦シュペー号の最後-日本語吹替音声収録 HD リマスター版-』にはフジテレビ版の日本語吹替(77分22秒[8])を収録。一部音源の無い箇所はオリジナル音声・日本語字幕となる[9][10]。また吹替音声欠落部分をスキップできる「日本語完全版再生機能」を搭載予定[11]。
エピソード
編集1956年10月29日にロンドンで行われた『戦艦シュペー号の最後』のロイヤルプレミア(王族を迎えた上映会)で、マリリン・モンローはエリザベス女王とマーガレット王女に謁見している[12]。モンローは『王子と踊子』の撮影でイギリス滞在中だった。
実物が残っていなかった艦船には代役が立てられ、「シュペー」役にはアメリカ海軍の重巡洋艦「セーラム」、補給艦「アルトマルク」役にはイギリス海軍補助艦隊の油槽船「オルナ」が、補給船「タコマ」役にはイギリス海軍補助艦隊の輸送船「フォート・ドゥケイン」が、重巡洋艦「エクセター」役に軽巡洋艦「ジャマイカ」が、軽巡洋艦「エイジャックス」役に軽巡洋艦「シェフィールド」がそれぞれ用いられている。試験艦として現役であった重巡洋艦「カンバーランド」と、インド海軍の「デリー」となっていた「アキリーズ」は実物が撮影に参加している。その他、アメリカ海軍・イギリス海軍のいくつかの艦艇が特定のシーンの撮影やカメラ船として使用された。
シュペー号でドイツ海軍旗が掲揚されるシーンは、アメリカ海軍が「セーラム」に掲揚することを許さなかったため、別にイギリス海軍艦で撮影が行われた。また、同様の理由でシュペー号の乗員がドイツ軍のシュタールヘルムではなくアメリカ軍のM1ヘルメットを被っているシーンがある。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ Macdonald, Kevin (1994). Emeric Pressburger: The Life and Death of a Screenwriter. Faber and Faber. p. 357. ISBN 978-0-571-16853-8
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 56–58「シュペー」と艦長の劇的な最期
- ^ Miller, Frank. “Pursuit of the Graf Spee (1957)”. Turner Classic Movies. 14 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。9 September 2019閲覧。
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 30–33一万トン級小型戦艦を建造
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 35–36.
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 48.
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 50–52英巡洋艦部隊「シュペー」を捕捉
- ^ @newline_maniacs (2023年4月10日). "【再生時間訂正のお知らせ】". X(旧Twitter)より2023年5月6日閲覧。
- ^ “「吹替シネマ2023」第2弾ラインナップ発表&全12タイトル決定!” (2022年11月18日). 2022年11月21日閲覧。
- ^ “戦艦シュペー号の最後-日本語吹替音声収録 HD リマスター版-” (2022年11月18日). 2022年11月21日閲覧。
- ^ @newline_maniacs (2023年3月2日). "NewLine Corp.のツイート". X(旧Twitter)より2023年3月11日閲覧。
- ^ ふたりは同い年だった⁉マリリン・モンローがエリザベス女王に謁見した夜
参考文献
編集- リチャード・ハンブル 著、実松譲 訳「(3)ポケット戦艦「シュペー」」『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫(26)〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9。