成穆皇后
成穆皇后(せいぼくこうごう)は、南宋の孝宗の最初の正室(即位前に没した)。姓は郭氏。
郭妃 | |
---|---|
南宋の追贈皇后 | |
別称 | 安穆皇后、成穆皇后 |
出生 |
宣和7年(1125年) 開封府祥符県 |
死去 |
紹興26年6月2日[1] (1156年6月21日) 臨安府 |
配偶者 | 孝宗 |
子女 | 趙愭、趙愷、光宗、趙恪 |
父親 | 郭瑊 |
母親 | 秦越国太夫人趙氏 |
経歴
編集開封府祥符県の人[2]。郭瑊と趙氏(宋の宗室の娘)のあいだの娘。弟は郭師禹・郭師元[2]。紹興14年(1144年)、普安郡王趙伯琮(後の孝宗)にとつぎ、咸寧郡夫人に封ぜられた。4人の男子を産んだ[1][2]。
紹興26年6月2日(1156年6月21日)、31歳で薨去[1]。臨安銭塘県の南屏山に葬られた[1]。紹興30年(1160年)8月、淑国夫人を追贈され、紹興31年(1161年)9月に福国夫人とされた[1]。紹興32年(1162年)6月、皇太子妃に追封され、同年8月に高宗が養子の孝宗に譲位すると、郭氏は皇后を贈られた後「恭懐」と諡され、まもなく「安穆」と改められた[1]。
男子
編集脚注
編集伝記資料
編集- 『宋史』巻243 后妃伝下 成穆郭皇后伝
- 『宋会要輯稿』巻12 后妃一 孝宗安穆郭皇后