銭塘県
銭塘県(せんとう-けん)は中華人民共和国浙江省杭州市にかつて存在した県。
清 杭州路 銭塘県 | |
← 922年 - 1912年 → | |
簡体字 | 钱塘 |
繁体字 | 錢塘 |
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拼音 | Qiántáng |
カタカナ転記 | チェンタン |
国家 | 清 |
建置 | 922年 |
廃止 | 1912年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
中国地名の変遷 | |
建置 | 922年 |
使用状況 | 1912年廃止 |
秦 | 銭唐県 |
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前漢 | 銭唐県 |
後漢 | 銭唐県 |
三国 | 銭唐県 |
西晋 | 銭唐県 |
東晋十六国 | 銭唐県 |
南北朝 | 銭唐県 |
隋 | 銭唐県 |
唐 | 銭塘県 |
五代 | 銭塘県 |
北宋/遼 | 銭塘県 |
南宋/金 | 銭塘県 |
元 | 銭塘県 |
明 | 銭塘県 |
清 | 銭塘県 |
中華民国 | 杭県 |
現代 | 杭州市 |
歴史
編集銭塘県の前身は前222年に秦朝により会稽郡に設置された銭唐県である。隋朝には杭州が設置され、銭唐県に州治が設置された。
唐朝により銭塘県と改称された。
五代十国時代、呉越が杭州に建都すると、922年(龍徳2年)に銭塘県は銭塘県・塩官県に分割され、銭塘県には南陽、北関、安渓、西渓の4鎮11郷が設置された。
南宋になると杭州への遷都が実施され、銭塘県及び仁和県は臨安府の首県とされた。銭塘県城内は6廂(左一南廂、左二廂、右一廂、城北右廂、城西廂、左一北廂)、52坊、城外には13郷62里が設置された。
元代から清末にいたるまで銭塘県は杭州路の管轄に置かれ、杭州府治が設置されていた。1912年、仁和県との統合が行われ杭県となった。
設置
編集922年(龍徳2年)、銭塘県が分割され銭塘県が設置される。
廃止
編集
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