慶谷 隆夫(けいや たかお、1901年4月29日[1] - 1972年11月27日[2])は、台湾総督府官僚伊勢市長(4期)。

慶谷隆夫

経歴

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三重県出身[3]1926年東京帝国大学法学部政治学科卒。台湾総督府に入り、台中州勧業、地方、水利の各課長[3]新竹州警務部長、庶務、海事、社会の各課長[3]高雄州総務部長などを務め[3]1943年花蓮港庁長になる[1]。戦後、帰国後の1946年宇治山田市長選挙に立候補したが落選[4]1947年三重県監査委員に就任する[1]1949年8月宇治山田市長に初当選[5]。戦後の復興期にあり、都市基盤の整備、産業の振興、福祉の向上、教育施設の整備充実などに力を入れた[1]。2年後の1951年の選挙では無投票で再選[6]。翌1952年の市長選で中西幸重に敗れて落選した[7]。4年後の1956年の市長選に立候補したが阿部仙之助に敗れて落選[8](宇治山田市は1955年に伊勢市に改称)。1960年の伊勢市長選で当選し、市長に復帰し[9]1964年1968年の市長選に連続で当選した[10][11]。復帰後は市立総合病院の開院、交通安全都市宣言、など多岐にわたる事業を推進[12]、再選後は市役所新庁舎の完成、青少年を守る都市宣言、市民憲章の制定などが挙げられる[12]。4期目は県内初の乳幼児保育所の開所、観光文化会館の開館、消防庁舎の完成などがあった[12]。1972年に市長を引退。引退後伊勢市から名誉市民を贈られた。同年11月27日死去。

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、635頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』469頁。
  3. ^ a b c d 日本官界情報社 編『日本官界名鑑』1942年、25頁。NDLJP:1271159 
  4. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、7頁。
  5. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、9頁。
  6. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、10頁。
  7. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、13頁。
  8. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、15頁。
  9. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、17頁。
  10. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、19頁。
  11. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、20頁。
  12. ^ a b c 『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、636頁。

参考文献

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  • 『日本官界名鑑』昭和十七年版、日本官界情報社、1942年。
  • 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、伊勢新聞、1976年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。