忉利天上寺
忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある摩耶山真言宗[1]の大本山の寺院。山号は佛母摩耶山。本尊は十一面観音菩薩と仏母摩耶夫人尊。釈迦の生母である摩耶夫人を本尊とする日本唯一の寺である。通称は天上寺という。新西国三十三箇所第22番札所。
忉利天上寺 | |
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本堂(金堂) | |
所在地 | 兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12 |
位置 | 北緯34度44分21秒 東経135度12分15.2秒 / 北緯34.73917度 東経135.204222度座標: 北緯34度44分21秒 東経135度12分15.2秒 / 北緯34.73917度 東経135.204222度 |
山号 | 佛母摩耶山 |
宗旨 | 古義真言宗 |
宗派 | 摩耶山真言宗[1] |
寺格 | 大本山 |
本尊 | |
創建年 | 大化2年(646年) |
開山 | 法道 |
開基 | 孝徳天皇(勅願) |
正式名 | 佛母摩耶山忉利天上寺 |
別称 | 天上寺 |
札所等 |
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文化財 | |
公式サイト | 摩耶山天上寺 |
法人番号 | 5140005000150 |
歴史
編集忉利天上寺は大化2年(646年)に孝徳天皇の勅願により、インドの伝説的な高僧法道仙人が開創したと伝わる。後に空海(弘法大師)が渡唐した際、梁の武帝自作の摩耶夫人尊像を持ち帰り、同寺に奉安したことから、この山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。寺号は摩耶夫人が転生した忉利天に因むものである。鎌倉時代末期の摩耶山合戦(幕府軍対赤松氏)で知られる摩耶山城をこの寺とする説がある。
最盛期には多くの塔頭、僧坊を抱えており、最も栄えた頃は3,000人の僧を擁する摂津地方第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族・武将なども含め、広く信仰され、花山・正親町両天皇の御願所でもあった。
江戸時代には将軍徳川家光により摂津国の鎮護寺(護国寺)に選定され、紀州徳川家が将軍家の代参の役をつとめた。このため天上寺の紋は、天皇家より賜った五七の桐紋と徳川家より賜った三つ葉葵紋を合わせた二種紋となっている。
1976年(昭和51年)1月30日未明、賽銭泥棒による放火のため[2]、仁王門や一部の塔頭・庫裏を除いて全焼した。現在は北方約1キロメートルにある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建された。旧境内は摩耶山歴史公園として整備され、旧伽藍の解説板などが整備されているほか、焼け残った仁王門も残されており、石垣や石段なども往時を偲ばせる(北緯34度43分50.9秒 東経135度12分20.8秒 / 北緯34.730806度 東経135.205778度)。ただ、仁王門以外の建物(庫裏など)は整備されておらず、朽ちかけている。
2020年(令和2年)4月3日高野山真言宗から独立し、新しい包括宗教法人として摩耶山真言宗を設立し[1]、その総本山となる。
本尊
編集本尊は「十一面観音菩薩像」と「仏母摩耶夫人尊像」。
境内
編集- 金堂(本堂)
- 権現社 - 伽藍神である釈帝権現を祀る。
- 摩耶夫人堂 - 全国唯一の摩耶夫人を祀る堂。
- 密教学講伝所
- 一願地蔵堂
- 法道仙人石像
- 天空の大舞台
- 鐘楼
- 書院
- 金輪堂 - 一字金輪を祀る。
- 本坊
- 天竺堂
- 西山門
- 旧境内地 - 現在は摩耶山歴史公園となっている。
- 仁王門 - 摩耶山歴史公園にある。
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参道の石段
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天竺堂
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本堂
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摩耶夫人堂
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金輪堂
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旧天上寺
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旧多宝塔
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旧境内。正面に本堂、左側に護摩堂、右側に多宝塔があった(2017年5月撮影)。
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旧天上寺三権現社(さんごんげんしゃ)跡。白山権現、熊野権現、愛宕権現が祀られていた(2017年5月撮影)。
文化財
編集兵庫県指定有形文化財
編集- 紺紙金字妙法法華経 8巻 - 伝待賢門院御筆。
神戸市指定有形文化財
編集- 絹本著色弥勒曼荼羅
前後の札所
編集拝観
編集- 拝観料:無料
- 拝観時間:8時 - 17時
- 駐車場:山門近くに有料市営駐車場50台
アクセス
編集脚注
編集- ^ a b c 国税庁法人番号公表サイト
- ^ 「<神戸・摩耶山天上寺>苦しみから女性解放」『読売新聞』2014年9月22日。
外部リンク
編集- 摩耶山天上寺 - 公式ウェブサイト
- 天上寺で公開されていた「笑い仏」 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)