徳島県立日和佐高等学校
徳島県美波町にあった高等学校
徳島県立日和佐高等学校(とくしまけんりつ ひわさこうとうがっこう、英称:Tokushima Prefectural Hiwasa High School)は、徳島県海部郡美波町に所在した公立の高等学校。徳島県立海南高等学校・徳島県立宍喰商業高等学校と統合され徳島県立海部高等学校(2004年4月開校)となり、2006年3月31日に閉校した。
徳島県立日和佐高等学校 | |
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北緯33度44分8秒 東経134度31分57秒 / 北緯33.73556度 東経134.53250度座標: 北緯33度44分8秒 東経134度31分57秒 / 北緯33.73556度 東経134.53250度 | |
過去の名称 | 徳島県日和佐高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 徳島県 |
校訓 | 自主 創造 |
設立年月日 | 1949年(昭和24年) |
閉校年月日 | 2006年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒779-2305 |
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設置学科
編集普通科は共学、家政科は女子のみ
沿革
編集- 1949年4月1日 海部第一高等学校および徳島県水産高等学校を統合して徳島県日和佐高等学校を設置。また、平谷・木頭・牟岐・三岐田に分校を、赤松に分教室設置。
- 1950年 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。
- 1951年 中木頭分校を平谷分校と改称、赤松分教室は分校に昇格。
- 1952年 平谷・木頭分校が徳島県立那賀高等学校の分校となり本校より離脱
- 1955年 三岐田分校を由岐分校と改称。
- 1956年 徳島県日和佐高等学校を徳島県立日和佐高等学校と改称。
- 1958年 由岐分校の廃止。
- 1959年 赤松分校の廃止。
- 1971年 牟岐分校の廃止。
- 2006年3月31日 徳島県立海南高等学校、徳島県立宍喰商業高等学校と統合され徳島県立海部高等学校となり閉校。
脚注
編集- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4。