徳島文理中学校・高等学校

徳島県徳島市にある中高一貫校

徳島文理中学校・高等学校(とくしまぶんりちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Tokushima Bunri High school)は、徳島県徳島市山城西四丁目にある私立中学校高等学校

徳島文理中学校・高等学校
地図北緯34度2分53.961秒 東経134度33分22.55秒 / 北緯34.04832250度 東経134.5562639度 / 34.04832250; 134.5562639座標: 北緯34度2分53.961秒 東経134度33分22.55秒 / 北緯34.04832250度 東経134.5562639度 / 34.04832250; 134.5562639
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人村崎学園
校訓 「自立協同」
設立年月日 1895年
創立者 村崎サイ
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C136320100020 ウィキデータを編集(中学校)
D136320100028 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 36502F
所在地 770-8054
徳島県徳島市山城西四丁目20番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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学校法人村崎学園の創立者の村崎サイが1895年に開校した裁縫専修学校を前身とした村崎学園の淵源とも言うべき学校である。女子校として設立されたが1975年男女共学の中学校を設置、それ以降は自立寮開設などの規模拡大を経て現在に至っている。

徳島県内では唯一の私立中高一貫の進学校であり、高校2年生までで中高6カ年の学習内容を全て終える。 東大・京大などの難関大学、特に国公立大学医学部医学科への多大な合格実績がある。2011年度の高校卒業者数は177名であったが、そのうち23名、すなわちその年の卒業生8人に1人が国公立大学医学部医学科に現役で合格した。(この年は既卒者も含めると31名合格した。) [1] [2]

徳島文理大学の関連校だが、ほとんどが外部の大学に進学する(2020年度卒業生は徳島文理大学への進学は0人)[3]

入学には主に、中学課程から入学する方式(6年間)と、高校課程から入学する方式(3年間)があり、いずれも入学の際に試験が課される。また、編入制度もある。

2006年に必修科目の未履修が明らかになった。豊崎博司校長(当時)は教員に、生徒へ「単位不足はない」と虚偽説明をするよう指示し、その後辞任。3年生197人は全員未履修があり、最大で315時間の履修不足があった。

2008年度入試からは、中学校の入学試験が従来の1回のみから、前期・後期の2回制に変更されるなど、新入生獲得のための様々な取り組みを行っている。また、同年からは耐震性強化などの為に一部校舎(本館)の建て替えが実施され、新校舎は2009年7月に完成している[4]

沿革

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  • 1895年 - 村崎サイが「女性の自立」を建学の精神として私立裁縫専修学校を創立。
  • 1924年 - 徳島女子商業学校を設置。
  • 1944年 - 村崎女子商業学校が認可。
  • 1948年 - 村崎女子商業学校を村崎女子高等学校と改称。
  • 1958年 - 村崎女子高等学校を徳島女子高等学校と改称。 1958年(昭和33年) 徳島女子高等学校と改称
  • 1975年 - 徳島文理大学附属中学校創立(男女共学)。
  • 1976年 - 徳島女子高等学校を共学化し、徳島文理高等学校に改称。徳島文理大学附属中学校を徳島文理中学校に改称。
  • 1979年 - 文理自立寮開設。
  • 1982年 - 徳島文理高等学校同窓会、自立寮同窓会発足。
  • 1984年 - 徳島文理中・高女子部設置。
  • 1989年 - 徳島文理中・高女子部廃止。
  • 1995年 - 創立100周年記念式典挙行。
  • 2004年 - 文理自立寮廃寮。
  • 2006年 - 6科目の未履修が発覚。
  • 2007年 - 数学教諭が塾勧誘目的で合格名簿流用。
  • 2008年 - 中学校の入学試験において、前期・後期の2回制を導入。

部活動・同好会

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体育系

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文化系

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著名な卒業生

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関連校

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学校名 創立 備考
徳島文理大学 1895年 旧名は私立裁縫専修学校、徳島女子短期大学
徳島文理小学校 1984年  
徳島文理大学附属幼稚園 1973年  

脚注

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関連項目

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外部リンク

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