村崎サイ
日本の教育者
村崎 サイ(むらさき サイ、1864年(文久3年)6月7日 - 1945年(昭和20年)7月4日)は日本の教育者。社会運動家。香川県小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)出身。
むらさき さい 村崎 サイ | |
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徳島文理大学にあるサイの銅像 | |
生誕 |
1864年6月7日 日本 香川県苗羽村 |
死没 | 1945年7月4日(81歳没) |
職業 | 教育者 |
子供 |
村崎凡人(孫) 村崎正人(曾孫) |
経歴
編集村崎学園設立
編集香川県・小豆島の醤油屋の娘に生まれる。父は町長を務めており、小豆島で初めての小学校を創立した人物である。愛媛県で初めての女性教員となった後、徳島県で教職についた。
1895年に「女も独り立ちが出来ねばならぬ」の精神により私立裁縫専修学校(現在の徳島文理大学の前身)を創立[1]。
1924年には徳島女子職業学校(現在の徳島文理高等学校の前身)を併設。当時はあまり女性が社会に出ることの少なかった時代だった為、サイは女性の社会進出と自立を目標としていた。
1945年7月4日、徳島市を襲った徳島大空襲により学園は焼失、サイ自身もこの時に死亡した。また夫との間に子供ができなかったので、自分の生徒を養女にした。
サイの没後
編集サイの死後、孫である村崎凡人が学園を再建するとともにその近代化に努め、幼稚園から大学院までを一貫した教育を行う総合学園にした。また1985年には村崎凡人によって「女も独り立ちが出来ねばならぬ 村崎サイ」という本も春秋社から出版されている。
1989年には徳島文理大学香川キャンパスに「村崎サイメモリアルホール」が設立され、2000年には徳島キャンパスに「むらさきホール」が建てられている。また大学には「村崎サイ奨学金」という文理大学独自の奨学金制度が設けられている。
関連項目
編集脚注
編集- ^ “大学は往く 新しい学園像を求めて〈17〉”. 日本私立大学協会. 2017年1月19日閲覧。
参考文献
編集- 『徳島の百人』徳島市中央公民館、1968年。
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