後藤亮一
日本の政治家
後藤 亮一(ごとう りょういち、1888年12月10日[1] - 1949年3月29日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
後藤亮一 ごとう りょういち | |
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生年月日 | 1888年12月10日 |
出生地 | 日本 岐阜県 |
没年月日 | 1949年3月29日(60歳没) |
出身校 | 京都帝国大学哲学科卒業 |
前職 | 僧侶 |
所属政党 | 立憲民政党 |
宗教 | 臨済宗妙心寺派 |
選挙区 | 岐阜県第2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1930年 - 1936年1月21日 |
経歴
編集岐阜県出身[2]。1917年、京都帝国大学哲学科卒。私立花園中学校教諭、羽島郡仏教会副会長、岐阜県嘱託講師、妙心寺派宗会副議長、 同議長、同派宗務総長、同派教学財団理事長、仏教連合会幹事、雑誌「正法論」主筆、同「表現」主幹、日本ビルマ協会常任理事となる[2]。
1930年の第17回衆議院議員総選挙において岐阜2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選した[3]。1932年の第18回衆議院議員総選挙で再選[4]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で落選した[5]。1949年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。