庄司 紗矢香(しょうじ さやか、1983年1月30日 - )は、東京都国分寺市出身の、日本ヴァイオリニスト1999年パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールにて史上最年少で優勝。

庄司紗矢香
2014年
基本情報
生誕 (1983-01-30) 1983年1月30日(41歳)
出身地 東京都国分寺市
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン
レーベル ドイツ・グラモフォン
公式サイト 庄司紗矢香オフィシャル・サイト
著名使用楽器
ストラディヴァリウス レカミエ

人物・来歴

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幼少時代

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東京に生まれた。画家である母の留学に伴い、3歳からシエーナに移り、2年間を送る。最初ピアノを習っていたが、キジアーナ音楽院のコンサートでヴァイオリン演奏を見たことがきっかけとなり、5歳からヴァイオリンを始めた。

帰国後、国分寺市内の小学校に進み、1994年、6年生の時に第48回全日本学生音楽コンクール東京大会、全国大会で第1位を獲得した。

ヨーロッパ留学

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1995年キジアーナ音楽院において、ヴァイオリンをウート・ウーギ、室内楽をリッカルド・ブレンゴーラに学び、1997年にはイスラエルより奨学金を得てシュロモ・ミンツに学んだ。同年、14歳でリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア(17歳未満)部門で日本人として初めて優勝し、ルツェルン音楽祭ルドルフ・バウムガルトナー指揮ルツェルン音楽祭弦楽合奏団のソリストとして出演した。

また、リピンスキ・ヴィエニヤフスキ・コンクールで審査員を務めていたザハール・ブロンに声を掛けられ、1998年以降、ケルン音楽大学でブロンに師事する。同年からヨーロッパを拠点に活動している[1]。 また、同年、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団とヨーロッパ演奏旅行を行い、ウィーン・ムジークフェラインザールでウィーン・デビューを果たした。

1999年、第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールに同コンクール史上最年少、かつ日本人として初めて優勝した(同時にエンリコ・コスタ博士記念賞、マリオ・ルッミネッリ記念賞も受賞)。 2004年、ケルン音楽大学を卒業し、翌年パリに移った。

近年の活動

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2000年ズービン・メータにその才能を認められ各地でオーケストラと協演、ドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだ。その後ユーリ・テミルカーノフロリン・マゼールウラディーミル・アシュケナージシャルル・デュトワヴォルフガング・サヴァリッシュネヴィル・マリナーリッカルド・シャイーコリン・デイヴィスチョン・ミュンフンピンカス・ズッカーマンエリアフ・インバルガリー・ベルティーニウラディーミル・スピヴァコフルチアーノ・ベリオユーリ・バシュメットなどと共演。ヨーロッパを中心に、日本、アメリカ、南米、ロシア、イスラエルで定期的に活動している。

その他、テミルカーノフ指揮ロンドンフィルハーモニア管弦楽団ユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団尾高忠明指揮BBCウェールズ交響楽団佐渡裕指揮マンチェスターBBCフィルハーモニック、コペンハーゲンDR放送交響楽団、マドリッド王立劇場管弦楽団などと各地で演奏。

2001年4月から2009年6月まで日本音楽財団から1715年製ストラディバリウス「ヨアヒム」を長期貸与されていた[3]。今の使用楽器は、1729年製ストラディヴァリウス「レカミエ」である[1][4]

音楽の視覚的表現

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2009年、クラシック音楽からインスピレーションを得た絵画と映像作品の個展"Synesthesia"(共感覚)を開催。庄司は、ヴァイオリン演奏が「第一のインタープレテーション(解釈)」とするなら、視覚的表現は「第二のインタープレテーション」であると語っている[5]

ディスコグラフィー

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ a b ユニバーサル ミュージックHPバイオグラフィー
  2. ^ 平成21年度芸術選奨 受賞者及び贈賞理由
  3. ^ 日本音楽財団長期貸与者一覧 2022年7月18日閲覧
  4. ^ チケットぴあ、インタビュー
  5. ^ "Synesthesia"展覧会カタログ。

外部リンク

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