広路村
日本の愛知県愛知郡にあった村
広路村(ひろじむら[1][2])は、愛知県愛知郡にあった村。現在の名古屋市昭和区の一部にあたる。
ひろじむら 広路村 | |
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廃止日 | 1906年5月10日 |
廃止理由 |
新設合併 御器所村、広路村 → 御器所村 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 愛知郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,953人 (『角川日本地名大辞典 23 愛知県』1152頁、1891年) |
隣接自治体 | 田代村、弥富村、瑞穂村、御器所村、千種町 |
広路村役場 | |
所在地 | 愛知県愛知郡広路村 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集- 1878年(明治11年)愛知郡川名村、伊勝村、石仏村、藤成新田、五軒家村が合併して広路村が設立[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、愛知郡広路村が単独で村制施行し、広路村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]。
- 1899年(明治32年)名古屋区裁判所広路出張所(仮庁舎:近藤善左衛門宅)が開設[2]。
- 1906年(明治39年)5月10日、愛知郡御器所村と合併し、御器所村が存続して廃止された[1][2]。合併後、御器所村広路となる[2]。
地名の由来
編集次の諸説あり[2]。
- 飯田街道が地内中央部を通り、広い道路であったから。
- 広路学校の名称から。
産業
編集- 農業
教育
編集- 1877年(明治10年)石仏村松栄学校を太平寺付近に移転し、広路学校に改称[2]。1887年(明治20年)八事学校・中根学校が尋常小学広路学校の分校となる[2]。1892年(明治25年)広路学校を広路尋常小学校(現名古屋市立広路小学校)に改称[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 23 愛知県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。