広瀬徳蔵
日本の政治家・弁護士(1878-1933)
広瀬 徳蔵(廣瀬 德藏[1]、ひろせ とくぞう[1]、1878年(明治11年)5月19日[2] - 1933年(昭和8年)5月8日[1][3])は、日本の政治家、弁護士[4]。衆議院議員(大阪府第三区選出、当選4回)[1]。
経歴
編集大阪市出身[4]。広瀬種蔵の長男[5]。関西法律学校(現在の関西大学)出身。判検事登用試験・弁護士試験に合格し、判事に任命された[4]。辞職して弁護士を開業した。白川静を事務所に雇い入れていたことがある。その後、大阪市会議員、大阪府会議員・議長を歴任した。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。憲政会、立憲民政党に所属。一方で、宝塚尼崎電気鉄道株式会社の取締役、城北土地株式会社・東神火災保険会社・大阪土地建物株式会社・境川運河株式会社の監査役を務めた。関西大学講師[5]。
脚注
編集- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』ひの部421頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月18日閲覧。
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、4頁。
- ^ 『官報』第1905号、昭和8年5月11日
- ^ a b c 『衆議院要覧 昭和7年5月 乙』363頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月18日閲覧。
- ^ a b 『代議士月旦』p.53
参考文献
編集- 『衆議院要覧(乙)昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。
- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。