平野博文
平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年〈昭和24年〉3月19日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の前衆議院議員(7期)。勲等は旭日大綬章。
平野 博文 ひらの ひろふみ | |
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文部科学大臣就任に際して公表された肖像 | |
生年月日 | 1949年3月19日(75歳) |
出生地 | 日本 和歌山県伊都郡妙寺町(現・かつらぎ町) |
出身校 | 中央大学理工学部電気工学科 |
前職 |
松下電器産業従業員 中村正男衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(無所属→) (旧民主党→) (民主党→) (民進党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党(泉G) |
称号 |
工学士(中央大学・1971年) 旭日大綬章 |
サイン | |
第16代 文部科学大臣 | |
内閣 |
野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2012年1月13日 - 2012年10月1日 |
第77代 内閣官房長官 | |
内閣 | 鳩山由紀夫内閣 |
在任期間 | 2009年9月16日 - 2010年6月8日 |
選挙区 |
(大阪11区→) (比例近畿ブロック→) 大阪11区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1996年10月21日 - 2012年11月16日 2014年12月19日[1] - 2021年10月14日 |
その他の職歴 | |
初代 立憲民主党代表代行 初代 立憲民主党選挙対策委員長 (代表:枝野幸男) (2020年9月15日 - 2021年12月2日) | |
第4代 民進党国会対策委員長 (代表:大塚耕平) (2017年10月 - 2018年5月7日) | |
第17代 民主党国会対策委員長 (代表:野田佳彦) (2011年8月 - 2012年1月13日) | |
民主党幹事長代理 (代表:岡田克也) (2004年9月 - 2005年9月) | |
民主党国会対策委員長代理 (代表:岡田克也) (2004年5月 - 2004年9月) |
内閣官房長官(第77代)、文部科学大臣(第16代)、衆議院安全保障委員長・国土交通委員長・懲罰委員長、民主党国会対策委員長(第17代)、民進党副代表、同国会対策委員長(第4代)、旧国民民主党総務会長(初代)、同幹事長(第2代)、立憲民主党代表代行(筆頭・党務総括、初代)兼選挙対策委員長(初代)、雄志会会長(初代)を歴任した。
来歴
編集生い立ち
編集和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立妙寺中学校、和歌山県立笠田高等学校、中央大学理工学部電気工学科卒業。1971年、大学を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に入社。1983年より日本社会党の中村正男衆議院議員の秘書を務める。
国政へ
編集1996年の第41回衆議院議員総選挙に大阪11区から無所属で出馬し、初当選した。1998年、民主党結党に参加。党務では副幹事長、国会対策委員長代理、総務局長、幹事長代理等を務める。2003年、民主党大阪府連代表に就任。2005年、堀江メール問題が発覚した際も民主党幹事長代理を務めており、事態の収拾に尽力した[2]。
2009年5月、鳩山由紀夫の民主党代表就任に伴い、党総務委員長代理(役員室担当)に起用された。同年の第45回衆議院議員総選挙では、自由民主党前職の井脇ノブ子を大差で破り、5選。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣で内閣官房長官に任命され、初入閣した。
鳩山政権
編集内閣官房長官への就任が内定した直後、歴代の民主党代表が全てのメディアに対する記者会見のオープン化を公言していたにもかかわらず、2009年9月16日の鳩山首相の就任記者会見については内閣記者会及び一部の雑誌、外国人特派員のみに参加を認め、フリーランスのジャーナリストやインターネットメディアを記者会見から排除し、党代表による公約を事実上反故にした[3]。
2010年2月15日、選挙区のある地元の大阪府を一時的に訪れていた。危機管理を担当する内閣官房長官が非公式に東京を離れていたために、一部の野党やマスコミから批判されたが、記者会見でこの件を質問された際は説明を拒否した[4]。
2010年5月28日、普天間基地移設問題に関して辺野古への移設に反対し、閣議決定への署名を拒否した福島瑞穂内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、男女共同参画、少子化対策)が罷免された際は事務代理を兼任し、6月4日の内閣総辞職まで務めた。
菅政権
編集内閣官房長官退任後は一時的に表立った活動を控えていたが、7月の第22回参議院議員通常選挙で参院の与党の議席数が過半数を割り込む大敗を喫したため、徐々に菅直人首相ら執行部への批判を強め、9月の民主党代表選挙への小沢一郎の擁立を画策。報道によれば、当初は菅の再選を支持していた鳩山を小沢支持に翻意させるための鳩山・小沢の会談をセッティングし[5]、鳩山の支持も取り付けたが、小沢は菅に敗れた[6]。菅改造内閣発足後、衆議院安全保障委員長に起用された。
2010年12月14日、民主党内で政策研究会「雄志会」を結成し、会長に就任した。
野田政権
編集2011年8月、党代表に選出された野田佳彦の下で民主党国会対策委員長に起用される[7]。同年9月7日、与野党国対委員長会談の席で「今の内閣は不完全な状態で、十分な国会答弁ができない」と発言し、野党の反発を受けた[8]。また9月16日には、第178回国会の会期延長をめぐって民主党内が混乱し、松本剛明・加藤公一両国会対策委員長代理、松野頼久国対副委員長の3人が辞表を提出した(のちに撤回)[9]。
2012年1月13日、野田第1次改造内閣で文部科学大臣に任命された。平野の入閣に際し、一部のマスコミは平野が鳩山グループ(政権公約を実現する会)に所属していると報じた[10][11]が、鳩山グループ事務局はこの報道に対し「平野氏は鳩山グループではない」と訂正を申し入れた[12]。1月28日、入閣に伴い大阪府連代表を辞任し、常任顧問に就任した[13]。
2012年10月1日、野田第3次改造内閣の発足に伴い、文科相を退任し、衆議院国土交通委員長に就任。同年の第46回衆議院議員総選挙では、大阪11区で日本維新の会の伊東信久に敗れ、初当選以来守り続けてきた議席を失い、比例復活もできず落選した[14]。
民主党下野後
編集落選後の2013年、拓殖大学大学院客員教授、中央大学学員会副会長に就任。2014年、学校法人中央大学理事に就任。
2014年の第47回衆議院議員総選挙に民主党公認で大阪11区から出馬。前回敗れた維新の党の伊東信久の得票数は上回ったものの、平野自身への刺客を目的として同じ大阪11区に鞍替えし、参議院議員を辞職して立候補した佐藤ゆかりに敗れ、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活。2年ぶりに国政に復帰した[15]。
2015年、民主党大阪府連特別代表に就任。
民進党
編集2016年3月、民主党解党により民進党結党に参加。同年4月、民進党大阪府連幹事長を務めていた樽床伸二が離党したため、平野が後任の府連幹事長に起用された[16]。同年9月には大阪府連代表に就任[17]。
2017年9月、民進党副代表に就任。
同年の第48回衆議院議員総選挙では民進党は希望の党に事実上合流し、同党に公認申請を行う方針を決めたが、希望の党が日本維新の会と大阪と東京での候補者の棲み分けに合意したため、府内の民進党立候補予定者13人は選挙区での公認が得られない見通しとなった。10月2日、平野は府内の立候補予定者について立憲民主党からの立候補を容認する考えを示すとともに、自身は「民進党府連代表という立場としては、大阪の民進党の灯を消すわけにはいかない」と述べ、民進党籍のまま無所属で立候補する意向を表明した[18]。最終的に平野以外の候補者は7人が立憲民主党へ、5人が国替えなどを受け入れて希望の党から立候補し、平野は「大阪は無血開城された」と恨み節を述べた[19]。
2017年10月22日、第48回衆議院議員総選挙で7選。その後、同26日に岡田克也が代表を務める衆議院会派「無所属の会」の結成メンバーとなった[20]。
国民民主党
編集2018年5月7日、民進党と希望の党が合流して新党国民民主党が結成され、無所属の会を退会しこれに参加した[21]。 同日、国民民主党の総務会長に就任した[22]。同年9月11日、国民民主党幹事長に就任[23]。
2020年9月11日、国民民主党の分党および立憲民主党との合流に伴い、同月15日の新・立憲民主党結党までの暫定的な新党として設立された「民主党」の代表に就任[25]。
立憲民主党
編集2020年9月15日、新・立憲民主党の代表代行及び選挙対策委員長に就任[26]。
2020年10月10日、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流に伴う新たな立憲民主党大阪府連の結成大会が行われ、辻元清美衆議院議員と共に共同代表に選出された。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で大阪11区にて落選、近畿地方での立憲民主党の支持が広がらなかった(獲得議席数3/28)のもあり比例復活もできず落選した[27][28](平野の比例近畿ブロックの順位は9位であった)。
憲法観
編集2012年、日本国憲法の改正に賛成していた[31]。日本国憲法第9条の改正にも賛成していた[32]。
2017年、安倍政権下での日本国憲法の改正については、反対派にまわる[33]。自民党の改憲案に盛り込まれた緊急事態条項に懸念を示したためである。
2019年、国民民主党の幹事長として「立憲野党と市民連合の意見交換会」に出席する[34]。
同年5月29日、野党統一候補の「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の政策協定書にサインし、あらためて憲法改正には「反対」した[35]。
政策・主張
編集人物
編集- 2009年、鳩山由紀夫内閣において枝野幸男の首相補佐官への起用が内定したものの、人事が発令されず、事実上棚上げされたまま、結局枝野の起用が見送られた。一部報道は枝野が首相補佐官に起用されなかった理由の一つに、内閣官房長官である平野の嫉妬を挙げた[37]。
- 普天間基地移設問題において、沖縄県民の負担軽減のため、普天間飛行場に離着陸するヘリコプターの機数削減やヘリ部隊の沖縄県外への移転を挙げたほか、「極端な話」と前置きした上で、普天間飛行場周辺の住民移転(事実上の強制移住)も挙げた。2010年1月24日投開票の名護市長選挙で、辺野古への移設に反対する稲嶺進の当選を受け、「民意を斟酌しなければならない理由はない」と発言した。平野のこの発言に対し、民社国連立政権の一員であった社会民主党の照屋寛徳国会対策委員長は「けしからんどころか、ぶん殴りたい。政治家としての感覚を疑う」と平野を激しく非難した。しかし、平野は1月26日の記者会見でも「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」と述べ、沖縄県民の同意の必要性はないとの認識を示した[38]。
- 2021年東京都議会議員選挙では、党東京14区支部長の木村剛司元衆議院議員が、自らの政党支部の機関紙号外に日本共産党の都議選候補予定者との対談を写真付きで掲載した。この動きに対し選対委員長の平野は木村を衆院議員会館の自室に呼びつけ、「お前、何考えてんねん」と怒鳴りつけた[39]。
発言
編集選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 47 | 大阪11区 | 無所属 | 9万7294票 | 48.59% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 51 | 大阪11区 | 民主党 | 12万895票 | 55.47% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 54 | 大阪11区 | 民主党 | 11万6834票 | 58.31% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 56 | 大阪11区 | 民主党 | 12万1328票 | 48.11% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 60 | 大阪11区 | 民主党 | 15万6002票 | 59.54% | 1 | 1/4 | / |
落 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 63 | 大阪11区 | 民主党 | 6万7756票 | 29.15% | 1 | 2/4 | / |
比当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 65 | 比例近畿(大阪11区) | 民主党 | 6万1216票 | 28.62% | 1 | 2/4 | 4/4 |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 68 | 大阪11区 | 無所属 | 7万6144票 | 36.72% | 1 | 1/3 | / |
落 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 72 | 大阪11区 | 立憲民主党 | 6万281票 | 25.48% | 1 | 3/3 | / |
所属団体・議員連盟
編集- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(副実行委員長)
- 日朝友好議員連盟
脚注
編集- ^ 平成26年12月19日中央選挙管理会告示第30号(平成二十六年十二月十四日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ “平野 博文氏(ひらの・ひろふみ) 内閣官房長官”. 47ニュース. (2009年9月16日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “ネット「締め出し」首相会見 民主党と記者クラブに批判噴出”. ライブドアニュース. (2009年9月17日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “官房長官、一時東京離れる?本人は「コメントしない」”. 朝日新聞. (2010年2月16日) 2010年6月9日閲覧。
- ^ “民主党代表選:権力闘争鮮明に”. 毎日新聞. (2010年8月27日) 2010年8月27日閲覧。
- ^ “民主代表に菅氏再選 党員・サポーター票で小沢氏に大差”. 朝日新聞. (2010年9月14日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “平野国対委員長「どじょう住みよい泥に」民主両院総会”. 朝日新聞. (2011年8月31日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “国会日程に野党反発「不完全内閣」で紛糾も”. 日テレニュース24. (2011年9月7日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “松本国対代理ら辞表提出=会期延長の混乱で引責-民主”. 時事通信. (2011年9月16日) 2011年9月17日閲覧。
- ^ “野田改造内閣の閣僚名簿を発表~官房長官”. 日テレNEWS24. (2012年1月13日) 2012年2月8日閲覧。
- ^ “【図解・政治】野田改造内閣・新入閣の顔触れ”. 時事通信. (2012年1月13日) 2012年2月8日閲覧。
- ^ “【内閣改造】「平野文科相は鳩山グループではない」 G事務局が見解”. 産経新聞. (2012年1月13日) 2012年2月8日閲覧。
- ^ “民主党大阪府連、平野氏が代表辞任 当面は長安氏が代行”. 産経新聞. (2012年1月28日) 2012年2月8日閲覧。
- ^ “平野・元官房長官「反省しなければ」大阪11区で敗北”. 朝日新聞. (2012年12月13日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “【衆院選2014】民主・平野元官房長官が復活当選”. 産経新聞. (2014年12月15日) 2016年1月15日閲覧。
- ^ “民進党・樽床氏が離党 次期衆院選、無所属出馬の意向”. 毎日新聞. (2016年4月30日) 2016年4月30日閲覧。
- ^ “民進党大阪府連代表に元官房長官 初の定期大会で平野博文氏承認”. 産経新聞. (2016年9月13日) 2018年4月9日閲覧。
- ^ “平野博文氏、無所属の意向 「大阪の民進の灯消せない」”. 朝日新聞 (2017年10月2日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ “「大阪民進は無血開城された」平野氏恨み節 党分裂の末路、元民進13人の去就固まる”. 産経新聞. (2017年10月7日) 2021年8月10日閲覧。
- ^ “民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に”. 時事ドットコム (2017年10月26日). 2017年10月26日閲覧。
- ^ “幹事長に古川元久氏、代表代行に原口一博氏 国民民主党結成”. 産経新聞. (2018年5月7日) 2018年5月10日閲覧。
- ^ “国民民主党設立大会 綱領・規約・人事等を決定”. 国民民主党. (2018年5月7日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “【国民民主党役員人事】幹事長に平野博文氏 津村啓介氏は副代表に 党役員人事案を了承”. 産経新聞. (2018年9月11日) 2018年9月15日閲覧。
- ^ “臨時国会開会、新たな常任委員長決まる”. Qnewニュース 2019年10月18日閲覧。
- ^ “政治資金規正法に基づく政治団体の届出”. 総務省 (2020年9月14日). 2020年9月16日閲覧。
- ^ “合流新党 立憲民主党 結党大会 150人の野党第1党が正式に発足”. NHK. (2020年9月15日) 2020年9月15日閲覧。
- ^ “立憲・代表代行の平野博文氏が落選 比例でも復活当選せず:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年10月31日閲覧。
- ^ “衆議院選挙2021 大阪(堺・岸和田など)開票速報・選挙結果”. 衆議院選挙2021特設サイト. NHK. 2021年11月1日閲覧。
- ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
- ^ “春の叙勲、黒田前日銀総裁ら4108人 桐花に大谷直人氏”. 日本経済新聞. (2024年4月29日) 2024年5月6日閲覧。
- ^ a b c “2012衆院選 大阪11区 平野博文”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月3日閲覧。
- ^ a b c “2014衆院選 大阪11区 平野博文”. 毎日jp (毎日新聞社) 2015年10月25日閲覧。
- ^ “毎日新聞,2017衆院選,選挙,総選挙,無,大阪11区,平野 博文”. 毎日新聞. 2019年9月30日閲覧。
- ^ “「立憲野党と市民連合の意見交換会」に平野幹事長が出席”. 国民民主党. 2019年9月30日閲覧。
- ^ “2019年頭所感 市民連合”. 市民連合. 2019年9月30日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ “枝野・民主党元政調会長:政府入り、たなざらし 2週間議題上がらず、平野氏の意向?”. 毎日新聞. (2010年1月21日)[リンク切れ]
- ^ “普天間移設、地元拒否なら法的決着も”. 読売新聞. (2010年1月26日) 2012年2月8日閲覧。
- ^ “都議選で際立った立・共「接近」…国民反発でかすむ野党共闘[政治の現場]決戦の足音<7>”. 読売新聞. (2021年7月23日) 2021年8月10日閲覧。
- ^ 嘉田由紀子 [@kadayukiko] (2019年7月20日). "晩のJA栗東市総合センター桃李館の個人演説会では、#国民民主党 幹事長 #平野博文 さんと #立憲民主党 国対委員 #辻元清美 さん、連合滋賀の柿迫博代表が応援演説下さいました。". 2019年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。X(旧Twitter)より2019年7月20日閲覧。
- ^ “国民幹事長、ライター示し「皆さんの心燃やしたい」放火触れ”. 京都新聞 (2019年7月20日). 2019年7月20日閲覧。
- ^ “京アニ放火に言及 国民・平野幹事長謝罪”. 毎日新聞 (2019年7月21日). 2019年7月21日閲覧。
関連項目
編集- 電機連合 - 平野は電機連合(パナソニックグループ労組)の組織内候補である。
外部リンク
編集- 平野博文 (hhirano.jp) - Facebook
- 平野博文 (@hiranohirofumi) - X(旧Twitter)
- 平野博文 (@hiranohirofumi) - Instagram
公職 | ||
---|---|---|
先代 中川正春 |
文部科学大臣 第16代:2012年 |
次代 田中眞紀子 |
先代 河村建夫 |
内閣官房長官 第77代:2009年 - 2010年 |
次代 仙谷由人 |
議会 | ||
先代 篠原孝 |
衆議院懲罰委員長 2019年 - 2020年 |
次代 福田昭夫 |
先代 伴野豊 |
衆議院国土交通委員長 2012年 |
次代 金子恭之 |
先代 奥田建 |
衆議院安全保障委員長 2010年 - 2011年 |
次代 東祥三 |
党職 | ||
先代 結成 |
立憲民主党代表代行(筆頭) 初代:2020年 - 2021年 |
次代 逢坂誠二 (※唯一の代表代行) |
先代 結成 |
立憲民主党選挙対策委員長 初代:2020年 - 2021年 |
次代 大西健介 |
先代 古川元久 |
国民民主党幹事長 第2代:2018年 - 2020年 |
次代 解党 |
先代 結成 |
国民民主党総務会長 初代:2018年 |
次代 小林正夫 |
先代 松野頼久 |
民進党国会対策委員長 第4代:2017年 - 2018年 |
次代 国民民主党へ |
先代 安住淳 |
民主党国会対策委員長 第17代:2011年 - 2012年 |
次代 城島光力 |
その他の役職 | ||
先代 創設 |
雄志会会長 初代:2010年 - |
次代 現職 |