巻山晃

日本のアナウンサー (1940-2022)

巻山 晃(まきやま あきら、1940年昭和15年〉10月28日[1][3] - 2022年令和4年〉11月26日[4][5])は元札幌テレビ放送アナウンサー

まきやま あきら
巻山 晃
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都文京区
生年月日 (1940-10-28) 1940年10月28日
没年月日 (2022-11-26) 2022年11月26日(82歳没)
血液型 A[1]
最終学歴 明治大学[2]文学部
職歴 札幌テレビ(1964 - 2003、後に編成局アナウンス部長 → 編成局次長 → 編成局付(局長待遇) → 編成局付(役員待遇))
オフィスサッポロ(2003 - 2012.6、経営統合で「札幌映像プロダクション」に)
札幌映像プロダクション(2012.7 - 2016.3)
元STVカレッジ学校長
活動期間 1964年 - 2016年(同期に一条京子鏡原美知子釜井昌枝坂本純子
配偶者 あり
担当番組・活動

経歴

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  • 東京都文京区小日向台町にて生まれたが、空襲で焼け出され、世田谷区奥沢九品仏駅前)に転居[1]。父親は調理師をしていた[2]
  • 1947年世田谷区立八幡小学校へ入学[1]
  • 1949年、小学校3年の時、友達と遊んでいる際に右眼に釘が刺さり失明[2]
  • 1952年、父の転勤に伴い札幌市立幌北小学校へ編入[1]。担任教師に国語の教科書の読み方が褒められたことでアナウンサーを志す[2]
  • 1956年札幌市立北辰中学校を卒業、北海道札幌北高等学校入学[1]。中高ともに放送部に所属した[1]
  • 1960年明治大学文学部へ入学、日本文学科に在籍し[3]、放送研究会に入会[1]
  • 1964年、右眼が不自由なため、東京のキー局の試験には不採用となる。その後北海タイムスの入社試験を受けようと考える中で青函連絡船で読んでいた新聞に掲載されていた札幌テレビの募集広告を見て応募したところ、採用となる[2]。訓練を重ねて片目のみで双眼鏡を覗いて競馬実況を行うなどの努力をし[5]、「サンデージャンボスペシャル」や1986年から引退まで担当した「オハヨー!ほっかいどう」などラジオを中心に活動し「キャリアの8割はラジオ」と自負していた他テレビでは平日午後の生番組「2時ワイド」などを担当した[2]
  • 1990年7月、アナウンス部専門部長[6]
  • 1991年NNSアナウンス大賞ラジオ部門大賞を受賞[7]
  • 1995年7月編成局次長・アナウンス部長[8]、1997年6月編成局付局長待遇[9]
  • 2003年、3月末をもってSTVを定年退職[2]オフィスサッポロ(のちの札幌映像プロダクション)所属タレントとして、引き続きSTVに専属出演。
  • 2016年、3月末をもって、52年にわたるアナウンサー業から引退。引退の理由として2015年夏頃から早起きが辛くなったことを挙げ、また52年間アナウンサーを続けられたことについては「一喜一憂せずに淡々と事に当たった為長続きできたのかもしれません」と述懐している[2]
  • 2022年11月26日、82歳で死去[4][5]

出演

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テレビ

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ラジオ

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ラジオCM

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l STVラジオパーソナリティ 巻山晃 - STVラジオ(Internet Archive 2011年8月14日付キャッシュ)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 近況:巻山 晃君、最後の放送 「52年 アナウンサー人生に幕 STVで活躍 巻山晃」北海道新聞2016年3月29日夕刊 - 札幌北高10期ウェブサイト(Internet Archive)
  3. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、194頁。
  4. ^ a b おくやみ申し上げます 札幌●中央区 巻山 晃さん(82) - 北海道新聞2022年11月30日朝刊
  5. ^ a b c 読者の声 ラジオパーソナリティー山崎甲子男「巻山さん偲び番組再放送」 - 北海道新聞2023年2月28日朝刊
  6. ^ 札幌テレビ放送人事 - 北海道新聞1990年7月5日朝刊
  7. ^ STV 吉川典雄アナウンサー ラジオ部門大賞 北本隆雄アナウンサー 最優秀新人賞受賞 ~日本テレビ系列NNSアナウンス大賞 札幌テレビ放送株式会社 - PR TIMES(2019年3月22日)
  8. ^ 札幌テレビ放送人事 -北海道新聞1995年7月1日朝刊
  9. ^ 札幌テレビ放送人事 - 北海道新聞1997年6月4日