工藤義雄

日本の陸軍軍人

工藤 義雄(くどう よしお、1885年明治18年)1月7日[1][2] - 1940年昭和15年)11月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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岡山県出身[1][2][3]。工藤敏夫の二男として生まれる[1]。岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)、広島陸軍地方幼年学校陸軍中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)3月、陸軍士官学校(17期)を卒業し[2]、翌月、歩兵少尉に任官し歩兵第11連隊付となる[1][4]。1915年(大正4年)12月、陸軍大学校(27期)を卒業した[1][2][3]

1916年(大正5年)12月、教育総監部付となり、同課員、陸軍兵器本廠付兼陸軍省軍務局課員、軍務局課員兼参謀本部員、歩兵第9連隊大隊長、同連隊付、陸士教官、参謀本部員などを務め、1928年(昭和3年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第6連隊長に就任[1][3]。教育総監部庶務課長、同第2課長を経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍少将に進級し兵器本廠付となる[1][2][3]。兵器本廠付(軍事調査部長)を経て、1935年(昭和10年)3月、歩兵第2旅団長に転じた[1][2][3]二・二六事件により1936年(昭和11年)3月、待命となり、同年7月、予備役に編入された[1][2][3]

日中戦争の勃発により、1937年(昭和12年)9月、召集を受け歩兵第102旅団長に就任[1][2][3]武漢作戦などに参戦した[2]。1938年(昭和13年)11月、召集解除となった[1][2][3]。その後、満州国赤十字社理事長を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、58頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』273頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』220頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』216、220頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。