川淵洽馬
日本の警察官僚、政治家
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川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月15日[1] - 1946年 〈昭和21年〉10月1日[2])は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、高知市長、衆議院議員。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第7代会長。旧姓は宮崎。姓は川渕とも表記される。
川淵洽馬 かわぶち こうま | |
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福山市役所『福山市行幸光栄録』より | |
生年月日 | 1883年8月15日 |
出生地 |
日本 高知県高岡郡窪川町 (現・四万十町) |
没年月日 | 1946年10月1日(63歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業 |
前職 | 警察講習所教授兼内務省参事官 |
所属政党 | 立憲民政党 |
称号 | 勲六等瑞宝章 |
選挙区 | 高知県第2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1932年2月20日 - 1936年1月21日 |
在任期間 | 1936年1月28日 - 1941年7月11日 |
官選 福岡県知事 | |
在任期間 | 1931年5月8日 - 1931年12月18日 |
官選 広島県知事 | |
在任期間 | 1929年7月5日 - 1931年5月8日 |
官選 福島県知事 | |
在任期間 | 1925年9月16日 - 1927年7月19日 |
来歴
編集高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)生まれ[3]。宮崎文次の二男として生まれ、川淵龍起の養子となる。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(明治45年)、内務省に入り警視庁警部に任官。
以後、警視庁警視、月島警察署長、台湾総督府警視、山形県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、警視庁書記官・警務部長[4]、警察講習所教授兼内務省参事官などを歴任。
1925年(大正14年)9月16日、福島県知事に就任[5]。1927年(昭和2年)5月17日に休職となる[5][6]。同年7月19日に願い出により免官となった[5]。1929年(昭和4年)7月5日、広島県知事になった[7]。1931年(昭和6年)5月8日に、福岡県知事に転任した[8]。同年12月18日に依願免本官となり退官した[9]。1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で高知県第2区に立憲民政党から出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた。1936年(昭和11年)1月28日、高知市長となり、1941年(昭和16年)7月11日まで在任した[1]。
栄典
編集脚注
編集- ^ a b 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 203コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑 129コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員略歴 第1回乃至第18回総選挙 159コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第3704号、大正13年12月25日。
- ^ a b c “歴代知事名簿”. 2024年11月2日閲覧。
- ^ 『官報』第113号、昭和2年5月18日。
- ^ “広島県 歴代知事”. 2024年11月2日閲覧。
- ^ 『官報 1931年05月09日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
- ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
参考文献
編集- 沢翠峰、尾崎吸江共著『良い国良い人(東京に於ける土佐人)』青山書院、1917年(大正6年)
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職 | ||
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先代 村上清 |
高知市長 第15・16代:1936 – 1941 |
次代 大野勇 |