川勝重氏 (勘左衛門)
川勝 重氏(かわかつ しげうじ)は、江戸時代前期の旗本。知氏系重氏流川勝家の初代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 万治3年11月2日(1660年12月4日) |
別名 | 勘左衛門(通称) |
戒名 | 武榮(法名) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川秀忠→家光→家綱 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝知氏、母:某氏 |
兄弟 | 重氏 |
妻 |
正室:村上信清の長女、 継室:村上信清の二女 |
子 |
長氏、広恒、隆房、 隆尚、女子(牛込重忝室)、 女子(美濃部茂命室)、 女子(福嶋大夫家臣森種貫室) |
生涯
編集川勝知氏の嫡男として丹波に生まれた。慶長19年(1614年)召されて将軍徳川秀忠に仕え、大番に列した。同年、大坂冬の陣に供奉した。後に、蔵米300俵を給わり、旗本家を興した。家紋は桐に鳳凰、釘抜、五七桐。通し字は「広」。その後、幕奉行に転じた。
万治3年(1660年)11月2日に没した。年齢不詳。家督は長男の長氏が継いだ。
また、二男の広恒、三男の隆房、四男の隆尚も各々旗本家を興した。川勝広継の二男であった知氏の系統からは、4家の旗本家が出ているが全て川勝重氏(勘左衛門)の息子たちが興した(継いだ)ものである。
参考文献
編集- 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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