川勝広恒
川勝 広恒(かわかつ ひろつね)は、江戸時代前期の旗本。後に甲府藩士。広恒流川勝家の初代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延宝6年7月2日(1678年8月18日) |
別名 | 藤兵衛(通称) |
戒名 | 了慶(法名) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光→徳川綱重 |
藩 | 後に甲斐国甲府藩臣 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝重氏、母:村上信清の長女 |
兄弟 |
長氏、広恒、隆房、 隆尚、女子(牛込重忝室)、 女子(美濃部茂命室)、 女子(福嶋左衛門大夫家臣森種貫室) |
妻 | 正室:佐脇安雅の娘 |
子 |
広能、広頼、女子(三浦某室)、 某 |
生涯
編集川勝重氏の二男として江戸に生まれた。正保4年(1647年)12月25日、召されて将軍徳川家光に仕え、小十人に列した。後に、蔵米を給わり、旗本家を興した。家紋は五七桐、釘抜。通し字は「広」。
慶安元年(1648年)6月14日、新番に転じ、150俵を加えられた。慶安4年(1651年)9月29日、徳川綱重(甲斐国甲府藩主)に配属されて甲府藩臣となり、同藩目付役となった。加増あって550俵の禄高となり、甲府城番を務めた。
延宝6年(1678年)7月2日に没した。年齢不詳。家督は嫡男の広能が継いだ。広能が甲府藩主徳川家宣の将軍就任に伴い幕臣となり、広恒流川勝家は旗本家として継続した。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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