島根県立大社高等学校
日本の島根県出雲市にある公立高校
島根県立大社高等学校(しまねけんりつ たいしゃこうとうがっこう, Shimane Prefectural Taisha High School)は、島根県出雲市大社町北荒木に所在する公立の高等学校。
島根県立大社高等学校 | |
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北緯35度22分50.7秒 東経132度42分7.5秒 / 北緯35.380750度 東経132.702083度座標: 北緯35度22分50.7秒 東経132度42分7.5秒 / 北緯35.380750度 東経132.702083度 | |
過去の名称 |
島根県簸川尋常中学校 島根県立第三中学校 島根県立杵築中学校 島根県立大社中学校 島根県立大社第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島根県 |
学区 |
全県学区 全国募集あり (全校で4名以内) |
併合学校 | 島根県立大社第二高等学校 |
設立年月日 | 明治31年(1898年) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 佐田(2015年3月閉校) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 体育科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D132220300200 |
高校コード | 32116J |
所在地 | 〒699-0722 |
島根県出雲市大社町北荒木1473番地 | |
外部リンク |
公式ウェブサイト 公式サイト(佐田分校) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 1898年(明治31年)に開校した「島根県簸川[1]尋常中学校」(旧制中学校)を前身とする。数回の改称を経て1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「島根県立大社第一高等学校」となる。翌1949年(昭和24年)に高等女学校を前身とする「島根県立大社第二高等学校」と統合され、現校名の「島根県立大社高等学校」となり、男女共学を開始した。2008年(平成20年)に創立110周年を迎えた。
- 同窓会
- 「いなさ会」と称している。
分校(2015年3月閉校)
編集- 佐田分校(さだ、所在地:〒693-0506 島根県出雲市佐田町反辺1938、北緯35度15分8.543秒 東経132度43分17.605秒)
- 全日制課程 普通科
沿革
編集- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1898年(明治31年)- 「島根県簸川[1]尋常中学校」が設置される。
- 1900年(明治33年)- 中学校令の改正により、「島根県立第三中学校」に改称(尋常が除かれる)[2]。
- 1902年(明治35年)- 杵築町(現・出雲市大社町)鹿城丘に移転[3]。
- 1907年(明治40年)- 「島根県立杵築[4]中学校」に改称。
- 1926年(大正15年)- 「島根県立大社中学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立大社中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として併設中学校に収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 新制高等学校「島根県立大社第一高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立大社第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(修業年限の旧制4~5年から新制3年への移行が完了)。
- 実業学校・高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1920年(大正9年)- 「島根県簸川郡立杵築実業学校」が設置される。
- 1926年(大正15年)- 「島根県立大社実業学校」に改称。
- 1929年(昭和4年)- 「島根県立大社高等実業女学校」に改称。
- 1936年(昭和11年)- 「島根県立大社高等家政女学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「島根県立大社高等女学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日- 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立大社高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として併設中学校に収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 新制高等学校「島根県立大社第二高等学校」(女子校)が発足。
- 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立大社第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(修業年限の旧制4~5年から新制3年への移行が完了)。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内の公立高校再編により、上記2校が統合され、「島根県立大社高等学校」(現校名)となる。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 体育科を新設。
- 1977年(昭和52年)- 碧雲寮が完成。
- 1978年(昭和53年)- 浜山新体育館が完成。
- 1980年(昭和55年)- 浜山新校舎へ移転を完了。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 島根県立出雲農林高等学校から佐田分校が移管される。
- 1995年(平成7年)- サッカー部が第30回全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会にてベスト8。
吹奏楽部が第43回全日本吹奏楽コンクールに初出場。銅賞を授賞。
教育方針
編集- 教育目標
「郷土に思いをいたし、こころ豊かで、たくましく生き抜く実践力のある人材の育成」
- 生徒の当事者意識と他者と協同する力を育む活動の推進
- 目標達成に向けて計画的に粘り強く取り組み活動の推進
- 生徒同士の学び合いを取り入れた授業づくり
- あらゆることの挑戦できる機会の確保
- 求める生徒像
- 自分で考えようとする姿勢が持てる生徒
- 目標に向けて努力し続ける意欲・粘り強さのある生徒
- 自他を大切にする意識・態度がある生徒
- 知的好奇心旺盛な生徒(普通科)
- 優れた能力と実績、意欲のある生徒(体育科)
学校行事
編集- 学園祭
- 「鹿城祭」(ろくじょうさい)
部活動
編集- 運動部
- 野球部 選抜高等学校野球大会 2回出場 全国高等学校野球選手権大会 9回出場
- 陸上部
- サッカー部 全国高校サッカー 11回出場
- 男子バレーボール部
- 女子バレーボール部 春の高校バレー 2回出場
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 剣道部
- 体操部
- 男子ソフトテニス部
- 女子ソフトテニス部
- 卓球部
- 弓道部
- ソフトボール部
- 男子硬式テニス部
- 女子硬式テニス部
- 水泳部
- ダンス部
- 文化部
著名な出身者
編集→「Category:島根県立大社高等学校出身の人物」も参照
スポーツ
編集- 北井正雄(元プロ野球選手、阪急軍)
- 西倉実(元プロ野球選手、松竹ロビンス-高橋ユニオンズ/トンボユニオンズ)
- 伊藤光四郎(元プロ野球選手、阪神タイガース-西鉄ライオンズ)
- 曽田康二(元プロ野球選手、中日ドラゴンズ)
- 石橋貢(元プロ野球選手、横浜大洋ホエールズ)
- 吉川公二(元プロサッカー選手、現サンフレッチェくにびきFC監督)
- 川上典洋(プロサッカー選手、ラオ・トヨタFC)
- 曽田一騎(プロサッカー選手、愛媛FC)
- 吉井佑将(サッカー選手、福山シティFC)
- 福間香奈(将棋女流棋士)
芸能・文化
編集軍人
編集政治
編集経済・実業
編集その他
編集アクセス
編集脚注
編集- ^ a b 読みは「ひかわ」。かつて存在した簸川郡を参照。
- ^ 第一中学校は島根県立松江北高等学校の前身、第二中学校は島根県立浜田高等学校の前身。
- ^ “沿革-島根県立大社高等学校”. 島根県立大社高等学校公式サイト. 2018年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月15日閲覧。
- ^ 読みは「きづき」。
- ^ "竹内まりや、甲子園沸かせた母校に言及 祖父と野球部の深い縁明かす 夫・山下達郎とラジオ共演". nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. 2024年8月25日. 2024年8月25日閲覧。